ヒラエッセイ

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1999年7月21日(水) 本の影響

「ヒラリーマン! おい、ヒラリーマン!」
「は?」
「は、じゃねーだろ。居眠りこいてねーで常務にご説明しろ」
 どうも会議というのは僕に睡眠欲を与える行事らしく、会議室というあの部屋にはいると、急に眠くなるのだ。
 それに夏バテなのか、このところ体調が悪いのである。
 常務は「またか」という顔で、腕を組んで待っている。
「えっと、なんの説明でしたっけ?」
「操作について常務にご説明するんだよ。そーさだよ、そーさ!」
「ええとあの、ソーサって言うと、バイアグラとホームラン争いをした……」
「バカ野郎。新しいソフトの操作方法を常務殿にご説明しろと、そう言ってるんだ。だいたいあれはマクガイヤーだろうが!」
「そうでしたっけ? しかしあのソフトの操作方法なんて、あんなの説明しなくても見ればわかりますよ、バカじゃなけりゃ。ねぇ、常務?」
「常務が……おわかりにならないとおっしゃっているんだ……」
「ありゃま」
 こりゃまずい。
 どうも体調が悪いと、失言をしてしまうのだ。

「まぁ、使い方はともかくヒラリーマン君、このソフトの導入はどうして遅れたんだね?」
 一瞬ムッとした常務だけれど気を取り直して、会議を続行しはじめた。
 それにしても常務は痛いところをついてきた。確かに予定より随分と遅れたのだ。しかしそれは、利用部門がこちらの指示通りに準備をしてくれなかったからなのである。
「どうもこちらの要請通りに相手がやってくれないものですから……」
「それならどうしてそれを俺に言わないんだ。そうすれば俺が奴らにバシッと言ってやったのに!」
 子供じゃあるまいし、担当者レベルの問題で、いちいち重役に言いつけられるわけにはいかない。
 そんなチクリ魔みたいな事はできるわけもないのだ。
「俺が言ってやれば、奴らも動くだろ」
 そりゃ社長の次ぎに偉いんだから、当たり前なのだ。
「君たちはもっと上司を使わなくてはいかんな」
「いえ、そんな、とんでもない」
「上司が部下を使うのは足り前だが、部下が上司を使うことも重要だ。この俺をうまく使っていくのもヒラリーマン君、君の能力なんだぞ」

 先日常務の部屋にパソコンの設定でお邪魔したとき、机の上には2冊の新しい本が置いてあった。
 それをちょっと失敬してみてみたら、一冊は「うまく部下に自分を使わせるマネージャーこそが優秀なのだ」というような内容の本で、もう一冊は「冗談のわかる柔軟でウィットに富んだ上司でなくては時代遅れだ」というような、そんな本だったのだ。
 常務は本に影響を受けやすい性格で、なにかの本を読むとしばらくはそれに感化されてしまう癖がある。
 だから、最近どんな本を読んだかによってこちらも態度を変えればいいのだから、結構チョロいのである。
 今回の常務の発言も、前者の本の影響なのだ。
 常務はこの話がえらく気に入ったらしく、部長クラスをつかまえては、その話を年寄りの孫自慢のように繰り返しているのである。
 
「しかし、こんな事にわざわざ常務のお手をわずらわせるようでは申し訳ございませんから……」
 構わないと言われてもまずは遠慮をしておく。これがサラリーマンの鉄則だ。
「かまわん。そんなことじゃいかん。俺をうまいこと使ってみろ。そのために俺がいるんだ。俺をうまく使え。いいな!」
「でも、あまりつまらないことに、恐れ多くも我が社のナンバー2を……」
 次の社長はあなたですと、ヨイショしておくのもテクニックなのだ。
「いいんだいいんだ。俺はお前達に使われてこそ、その存在意義があるというものなんだ。遠慮なく使ってみろ。わっはっは!」
 感化されると2ヶ月くらいはそればかり言っている。そしてそのうち飽きると、違う事を言い出すのである。
 つまり、この話は今が旬。したがって、冗談のわかる上司というのも、今が旬なのである。

「俺を使えるかどうかで、お前の評価が変わるんだぞ!」
「そうなんですか? じゃ、頑張ります」
「よし、その意気だ。お前には期待しいてるぞ!」
「ありがとうございます。そんじゃまず手始めに、そこの灰皿取ってください」
「ばかもん!」
 もう一冊は、まだ読んでいなかったらしいのである。

1999年7月22日(木) 頑張ったごほうび

 松原郁男47歳。総務部文書管理課長代理。
 仕事好きだけれど人付き合いが苦手な彼は、人生の岐路に立っていた。
 文書管理課には今、課長がいない。総務部長が課長を兼任しているのだ。
 今もしも、他の課から若い課長でも来れば彼の出世は絶望的になる。50歳までに課長にならなければ、もう課長職にはつけないのが我が社の通例だし、松原さんが確保できる可能性が残されたポストといえば、最低ランクの課長職である文書管理課長以外には残っていないのである。
 彼にとってこれが課長になれる最後のチャンスだった。
 そして、彼はついに立ち上がった。
 のんびりとただ流れてくる仕事だけをこなしていただけの毎日だったが、彼は今サラリーマン生活最大のスパートをかけたのだ。

「ヒラリーマン君。こんなもんでどうかな?」
「そうですねぇ、この機種だとちょっとパワー不足かも知れないですね」
「そうか。いい値段するけどな」
「だめですよ。CPUも今ひとつだし、なによりもハードディスクが足りません」
「そうか。確かに量が多いし、高速検索が命だからな。じゃ、ソフトの仕様の方はどうかな?」
「こんなもんでいいんじゃないかと思いますけど、ユーザーニーズをもっと調査する必要があると思いますね。それは僕の方でもやってみましょう」
「そうか。よしわかった。頑張ろうな!」

 松原さんはいつになく張り切っていた。
 松原さんは効率化によって8人いる課員を半分に減らし、文書保管スペースを減らし、そしてさらに文書検索のスピードを大幅にカットするという、文書管理課史上初めてとも言える業務改革に乗り出したのだ。
 我が社では長年ため込んだ書類の山がオフィススペースを食い、欲しい書類がなかなかでてこないと言うのが当たり前になっていた。
 松原さんはそれを一気に改善し、誰の目にも明らかな成果を堂々と示し、課長職へのもうダッシュをかけたのである。
 一流大学を卒業しながら、同期に大きく立ち後れて元気のなかった松原さん。
 僕はそんな松原さんのがんばりに感動し、全面的に協力した。
 パワフル且つコストパフォーマンスに優れた文書管理システムを提案し、松原さんが考えていた以上に高度で便利なシステムを構築し、文書管理を徹底効率化したのだ。
 そしてやっと出来上がったシステムが稼働すると松原さんは、取締役会で堂々とその導入結果を披露したのである。

「というわけでして、思った以上に効率的化がはかられました」
「ほうほう、なるほど。いいじゃないか」
「うちの部下達からもかなり評判がいいよこれは。ご苦労だったね、松原君」
「ありがとうございます」
 役員会でも、成果は認められたのだ。
「これだけ効率化でたのなら、文書管理課も例の検討に加えてはいかがですか、社長?」
「おお、そうだな。これだけ効率化できたんだからな」
「あの、それはどういうお話でしょうか……?」

 松原さんが頑張った結果、仕事のなくなった文書管理課は総務課に吸収され、松原さんはリストラされたのであった。

1999年7月29日(木) 想い出は美しすぎて

「こんにちは、ヒラリーマン君。あたし、覚えていますか?」
 突然電子メールが来た。
「あたし、中学の時の同級生の、白鳥百合恵です」
 覚えがないのだ。
「きっと覚えておられないでしょうね。あたし、大人しかったですから」
 過去形だ。すると今は活発なのだろうか。
 そりゃそうだ。活発だからこそ昔の同級生にメールを書こうなんて考えたのだろう。
「突然メールなどしてごめんなさい」
 いえいえ、結構ですよ、へへへ。
 だいたいメールというものは突然来るもので、だんだんと来るわけには行かないのだからしょうがない。
 今日はとりあえず題名だけにして、明日本文を送って……なんてことをやられる方が困るのである。
「実はヒラリーマン君のメールアドレスは、中学の同窓会名簿で見ました。先日有料で販売していたあれを購入したのです。随分と住所が不明の同級生が多いですね」
 中学が何周年かで創立から今までに至るほどの同窓会名簿を作ったのだ。そのためのデータ収集カードが来ていたので、それに僕はメールアドレスも記しておいたのである。
「昔、ヒラリーマン君があたしに変なあだ名付けたの覚えていますか?」
 私のことを覚えていないでしょうと言いながら、ちょっと矛盾した発言。
 しかし、そんなことはいい。なんだかほっとする暖かい文章なのである。
「あのときはいやだったけど、最近になってそれも懐かしくなって、インターネットのハンドル名に使ったりしています」
 だいたいろくでもないあだ名を付けて歩くのが僕の趣味だったけれど、こんな風に言ってもらえると凄くうれしいのだ。
「それで、懐かしくなってメールをしてみたのです」
 この間久々に高校時代の友人から電話があったと思ったら、いきなり売り込みで頭に来たことがある。
 こっちは懐かしい友人からの思わぬ電話にわくわくしたのに、なにも買わないとわかると、
「また電話するね」
 なんていいながら、それ以後一切電話をしてこないのである。
 だいたいこういう奴の社交辞令は「また電話するね」なのだ。まったく腹が立つ。他に言うことはないのだろうか。
 それにしても仕事の成績を上げるためなら昔の級友もターゲットにするとは、まったく落ちた奴だ。
 それに引き替え彼女は、純粋に昔の仲間を懐かしんでいる。
 心温まるメールなのだ。
「ヒラリーマン君、他に中学時代の誰かと会うことがありますか? 私はしばらく仕事で海外に行っていて久しぶりに古巣に戻りました。だから、全然なのです」
 僕もあまりない。年とともに顔も変わっているから、顔を合わせても気がつかないということもあるだろう。
「もしよかったら、今度お会いしませんか。中学時代とは違ってお酒という手段がありますから、その力も少し借りて楽しい昔話ができるような気がします」
 実にうれしいお誘いだ。
 相手が女だとか、そういうことは問題じゃない。
 こんな風に自分を懐かしんで、本当に心から再会してみたいと、そう思ってくれるのがうれしいのである。
 あの売り込みに来た馬鹿野郎とは大違いなのだ。
 級友と再会するということは、妙な下心などはいっさい持つことなく、童心に帰るべき行為なのだ。
 そんな風に時を越え、損得を越えた仲間づくりをできるうちはいつまでも青春だ。そしてそういう青春を過ごしたのなら、こうして真っ白な気持ちで昔を振り返ることができるのである。
 なんだか今回は我ながら煩悩を捨て去った素直な気持ちで物事を考えているような気がするのである。
 僕も大人になったということなのだろうか……。
「なお、ヒラリーマン君に記憶とたどっていただこうと、買ったばかりのデジカメで私の写真を撮りましたので、その画像ファイルを添付します。昔と基本的には変わっていないと思いますよ。ふふふ」
 さっそく返事を出すことにしよう。
 それにしても便利な時代になったものだ。
 彼女の写真さえ見ればいろいろと思い出すかもしれないし、会うときにも便利だろう。
 さーて、どれどれ……。

「最近ちょっと忙しくて……。またメールします」

1999年7月30日(金) 平和な会議

「だからよぅ、ヒラリーマン。おめーわかってんのか? あのな、だからよ、つまり効率化なんだよ。効率化っていうのはよ、無駄がないって事だろ。なにしろおめー、うちの会社はいまちっとも儲かってねーだろ。何しろ売れねーんだから、儲かるわけねーだよな。こんな時には仕方がねーから経費を節減しようってわけだ。しかしバカだよな、重役ってのも。儲かるときにはバシバシ金使ってよ、儲からなくなると経費落としてよ。そんなの誰でもできるよな。なにも東大出てきたエリートじゃなくても、アホでも思いつく話だよ。俺なんて自慢じゃないけど大した学校出ちゃいねーよ。だけどおめー実務においちゃ我ながら相当なもんだと思うぞ。しかしなんだな、入社したばかりのひよっこサラリーマンだって、日本の首相が誰かも知らない頭真っ赤で鼻に穴開けてるピーマン頭のにーちゃんだって、収入がなくなれば財布の紐を締めるくらいのことはやるよな。まぁ、中にはよ、主婦でもバカがいて、クレジットカードでなんでもかんでも買っちまって、サラ金地獄に陥ったりもするけどよ。そういやどっかの銀行じゃ頭取にまでなっても返せる金と返せない金の区別が付かなかったりするから変な話だよな。重役にまでなったらよ、もっとなんかアサヒビールがスーパードライを出して不動といわれていたビール業界のシェアをひっくり返したみたいに、『さすがこの人は凄い』ってことやって欲しいよな。もっともあれはよ、儲かったあとが悪かったよな。いかにも成金つーか、育ちが悪いつーか、儲けた金で下品なビルは建てるし、となりにでっかいウンコのオブジェなんてつくってよう……いや、あれがウンコじゃねーって事くらい俺も知ってるよ。でもよ、あれを作ったらきっとみんながウンコだウンコだって言うだろーなーって思うくらの普通の感覚がなくなっちまったくらい天狗になっちまったわけだから、それが問題だわな。それがほれ、つまりは成金なわけよ。まぁ、だけどやっぱりスーパードライは凄かったわけで、大ヒットだったわけだよな。あれ、はっきり言ってまずいビールだよ。だけどそりゃ売れちまえば商品としてはすげーもんな。やっぱりよ、重役だの部長だのっていったら給料たけーんだし、それくらいすげー事やってもらいてーよな。そうじゃねーと、なんでこんなただ威張っているだけのつまんねーやつにヘコヘコしなくちゃいけねーのかとか思うもんな。あ、そんで話がずれたけど、つまり常務が言うにはよ、この会社は会議が長すぎるってんだよ。無駄が多いってんだよ。俺もそう思うな、そりゃ。もちろん必要があれば長くてもいいけど、うちの場合なんだか雑談が多いだろ。このあいだ物流部の猿田が企画した会議なんてよ、おめー、2時間中の最初の1時間と最後の30分はバカ話でよ、中身はたったの30分。しかも猿田の奴は翌日になって『昨日の会議は結局結論はどうなったんでしたっけ?』なんて聞きに来たんだよな。あいつバカだよなぁ、自分で開いた会議の結論を覚えてねーんだから。だいたいあいつは入社したときからバカでよ、頭が猿並なんだよな、猿並。名は体を表すってけど、名は人物を現すだよなぁ、まったく。ま、とにかくよ、会議はちゃんと議題を持って目的を明らかにして、その目的に向かってテンポよく議事を進めてな、そんでちゃんとした答えを出して、時間を無駄にしないようにしろって事なんだよ。当然だよな。それによ、議事録もちゃんととってよ、会議で決まったことはきっちりやれって。そういうことをすることによってさ、会議を的確に運営して会社の仕事の効率化を図っていこうって言う、まぁ、そういうことをちっとばっかり会議の前にみんなに話しておいてくれって常務が言うもんだからよ。堅苦しい話なんだけどよ、ちょっとさせてもらったってわけだ。話、難しかったか? あのな、簡単に言えばよ、なにも決まらねー会議なんてーのは金輪際するんじゃねーぞと、そういうことを俺は言いたいわけだ。いいな。これからは効率的会議をすっからよ。な。わかったか? んじゃ、その話はこれで終わりにすっか。ええと、んじゃさっそく今日の会議なんだけどよ。議題は……」
 キンコーンカンコーーン。
「昼休みです、課長」
「ありゃま。んじゃ、メシにすっか。ソバにすっか?」
「いいっすよ。しかし今日の会議、なんにも決まらなかったですね、課長」
「昼飯に食うもの、決まったじゃねーか。あっはっは」
「ぎゃっはっは」
 平和だなぁ……。

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