ヒラエッセイ
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1999年12月1日(水) ミッキーが指紋をとるとき
業務上横領。そんな言葉が僕の頭をかすめた。
会社で現金が合わなくなる。足りなくなる。それで大騒ぎしていれば、まずはそういう事を思い浮かべるのが普通なのだ。
「だから、わたしじゃないといっているんだ!」
「ミッキーさんだとはいってないです。心当たりがないかとお聞きしただけじゃないですか」
「疑っているから聞くんだろ!」
「みなさんにお聞きしてるんです!」
「皆さんは関係ない。わたしに疑いをかけた事に対して抗議してるんだ!」
僕が昼休みの食事から戻ってくると我がシステム部の通称ミッキーと総務部のおばさんが怒鳴りあっていたのである。
ミッキーは50代半ばのおじさんで、この年になってもいまだに平社員。それもそのはずで、このおじさんにはいろいろと問題があるのだ。
会議で自分の意見に反対されようものなら、目玉をむき出して体をぶるぶる振るわせ、両手を振り回しながら叫びまくる。だから会議にならない。これを我々は「変身」と呼んでいるのである。
「ですからわたしは、みなさんに心当たりがないですかと伺っているだけなんです。それでミッキーさんにも同じようにお聞きしただけじゃないですか。それをそんなに怒らなくても・・・・・・」
「頭が悪いな、ババア! ほかのやつは関係ないって言ってるだろ。俺に疑いを向けるなといってるんだ、馬鹿やろう!」
「ば、ババアとはなんですか!」
確かにババアなんだけど、普通は言わない。普通は言わないこういう言葉を吐き出し始めると、ミッキーが変身に近づいている兆候なのである。
ミッキーは眉間にしわを寄せて、おばさんを睨み付けていた。
「ですから、お支払いになりましたかと聞いただけなんですから、そうならそうと答えてくれればいいだけじゃないですか。忘れた人がいるかとおもって聞いているだけなのに・・・・・・」
おばさんがなおも続けると、ミッキーの体はにわかに硬直し始めた。
右手に握り締めたボールペンはその握力で弓形に湾曲し、そしてそのこぶしはブルブルと震え出し、その振るえが拳から腕に、腕から肩に、肩から全身に広がった。そして目玉はあっという間に充血し、かっと見開いたかと思うと心なしか前に飛び出し、そしてついに体の振るえが顔に伝わり、変身を遂げたのである。
「だからーーーーっ、俺を疑うなって言ってるだろーーーーっ! 俺はいつでも払ってるんだーーーっ! 忘れた事なんてないんだーーーーっ! 指紋をとれーーーーーっ! 金から指紋を取って、俺の指紋と照合してみろーーーーーっ! 警察をよんで指紋をとって調べろーーーーーっ! うわーーーーーーっ!」
ミッキーが頭を左右に振り回しながら怒鳴り散らし、そして迫ってきたので、おばさんはびっくりしてそのまま廊下を走って逃げていってしまった。
ミッキーがこの異常な行動をしている間、ほかの課員たちは何事もなかったかの書類に目を通し、仕事をこなしている。慣れているのだ。
「ねぇ、課長。いったい何があったんですか?」
「おお、あれか。昼飯だよ。総務でまとめて弁当とってるだろ」
「ええ、弁当屋のあれね。僕も食いましたよ、今日」
「あれよぅ、みんなかってに金いれて行くだろ。それが一人分入ってなかったんで、忘れてねーかって聞きにいたんだな」
「それだけ?」
「それだけ」
なんと、足らなかった一人分430円をめぐっての話だったのだ。ミッキーはその集めた金についている指紋と自分の指紋を照合して、自分が払った事を確認しろと怒鳴りまくっていたのである。
まったく呆れてしまう。
「なんてくだらない話なんだ」とおもいつつ、僕はどうやって払い忘れた430円をおばさんに渡すか考えあぐねていたのであった。
1999年12月2日(木) 2000年元旦。そのとき首相は?
西暦2000年を迎えるまで、あと1月足らずになった。
通産省からも元旦から数時間毎に状況報告の要請が来ていることもあり、ぼくら担当者は大晦日らからの泊り込み体制をとることになった。
元旦そうそうに、小渕総理が2000年問題の発生状況を記者会見で発表するらしいのだ。だからそのための報告をしなくてはいけない。
しかしもちろん、我々の最大の目的はコンピューターがダウンしたときに対処する。これなのだ。
「というわけでよ、正月そうそう大変だけど、みんなで一致団結してこのY2K問題を乗り切ろうじゃねーか。なぁ」
「そうっすね、吉田課長!」
「ところでよヒラリーマン」
「はい、なんすか?」
「おまえにはさらに当日に向けていろいろと準備してもらわなくちゃいけない。これによってみんながどんな新年を迎えられるかが決まるんだ。責任重大だぞ、ヒラリーマン!」
「ええと、つまりその緊急時の・・・・・ですか」
「酒だ!」
「酒?」
「大晦日から正月休泊り込みだぞ、会社に。年越しそば食って餅を食って、酒を飲まなきゃ始まらねーべ。こうなったら会社で宴会だ」
「あの、課長。餅なんて焼いたら火災報知気が反応して怒られますよ」
「それだ。だからそこがおまえの使命なんだ。火災報知機に感知されることなく、餅を焼き、お雑煮をたべて酒を飲む。酒はもちろん熱燗だ。おせち料理はパンフレットが来てたよな、あれ頼もう。酒は切らすな。じゃんじゃん買っちゃえ。ちゃんと予算申請しておいたから」
「なんの予算で?」
「Y2K対策実行費だ」
なんじゃ、そりゃ。
確かに正月を会社で迎えるのはさびしい。酒くらい飲みたいのも確かなのだ。しかし、僕としてはどうしても疑問に思うことがあるのである。
「でも課長、もしも緊急事態になったとき、酔っ払いばかりじゃまずいじゃないですか!?」
「なーに、何も起こるわけないって。起こるわけねーよ。通産省には自動的に『問題ない』ってメールがタイマーで行くようにセットしておけばいいんだしよ。あっはっは」
結局のところこれが実態。何も起こるわけないと思っているから、本気で緊急事態策なんて考えちゃいないのである。
課長がまじめに考えている緊急時対策はたったひとつ。これだけなのである。
「七輪も用意しとけよ。万が一電気が止まっても、あれがあれば餅も焼けるし熱燗もできっからな。電気が来てなきゃ火災報知機もならねーしよ!」
こういう人たちの報告が通産省を経て、総理府に伝えられ、小渕総理が、
「現在のところ、問題は起きておりません」
と記者会見で発表するのかと思うと、なんだか滑稽なのである。
まさか小渕さんも、酒飲みながら待ってるじゃないだろうなぁ・・・・・・。
1999年12月27日(月) 部長はお毒味役
「みんな、どうしたんだ?」
「……」
「いえ……」
「なんでも……」
「食べないと、みそ汁が冷えちゃうぞ」
「はぁ」
「いえ、部長からお先にどうぞ」
「そうそう。部長からどうぞ」
「なんか変だな、お前たち?」
「いえいえ、別に。部長より先に箸をつけるなんて、そんなそんな。あはははは。なー、みんな?」
「はい」
我々の前には、とてもおいしそうな朝食が並んでいた。それは間違いなくおいしいだろうと思われる、パック旅行の朝食としてはまったく桁外れの豪華な朝食だった。
中堅以下若手社員たちはその朝食に箸をつけることなく、部長や課長がそれを口に入れる様子をじっとうかがっている。
あまりに豪華すぎるが故に、何かが入っているのではないかと疑いが拭えないのでった。
僕らは、毎年行事である会社の慰安旅行にやってきた。
いったいどこに行ったのか。そんなことはどうでもいい。どうでもいいと言うよりも覚えていないのだ。
東京から上越新幹線に乗って確か上田で降りたように思う。そしてそこから迎えのバスでホテルに来たのである。
ここで宴会をやって風呂に入り、そして明日の朝はちょっとだけ観光をして帰る。メインは宴会だから要するにここがどこでもかまわない。
風呂があって酒があれば会社の隣だってかまわないと言うのがサラリーマンの慰安旅行の正体なのである。
今回の旅行の目玉は、「安いこと」だった。会社の補助が一人当たり1万5千円なので普通は3万円くらいの旅行を計画する。総務部なんて九州まで行ったし、宣伝部は北海道でご機嫌だったらしい。
ところが我が情報システム部は幹事になった後輩の矢田君が奥さんからろくに小遣いをもらえないという個人事情を持ち込んだために、一人当たり1万5千円の旅行となったのだ。
つまり、会社の補助だけの持ちだしは酒代オーバー分くらいで済まそうという、せこい慰安旅行なのである。
「1万5千円じゃ料理は期待できませんね」
「でも、一応ホテルだぜ」
「ホテルにもいろいろありますからねぇ」
「おれも、期待しない方がいいと思うよ」
そんなことをいいながらついたホテル。そして宴会の時間になるとみんなは一斉に思ったのであった。
「やっぱり・・・・・・」
思った通り料理は全くひどいものだった。
まず、見た目がすごい。刺身はひからびているし、色も黒っぽくなっている。実際に食べてみても、これほどまずい物を作る方が難しいという煮物だったりする。酔っぱらいですらほとんど残してしまうのだから、凄い代物なのであった。
宴会なんて酒さえあれば盛り上がるものだと思っていたのだが、料理があれだけまずいと盛り上がらなくなるということを初めて体験できたのである。
「いやぁ、すげーまずい料理でしたねぇ、ヒラリーマンさん」
「強烈だったな。何でも食っちゃう矢田くんでさえ食わないんだから、最低だね」
宴会の後、我々はホテルのスナックへ2次会に繰り出し、それが終わるとそして真夜中の露天風呂に入った。
料理があれじゃ、後の楽しみは露天風呂くらいしかない。
我々はそこでゆっくりと湯に浸かり、料理の悪口を並べていたのである。
「あはははは。いやぁ、一応食ってはみたんですよ。だけどね、吐きそうになっちゃいましたよ」
「ほんとほんと、戻しそうでした」
「あんなもん、どうやったら作れるんでしょうね?」
「なんかさ、隣の旅館の前日の残り物じゃないかって気がするよな」
「山田なんて、本当に吐いたんですよ」
「そりゃ飲み過ぎでだろ」
「いえぇ、山田が吐いたのは料理の方で、酒は吐かずに済ませたそうです。な、山田?」
「はい。選択制ゲロです」
「冗談はともかくとして、それほどまずかったよな、あの料理」
「本当ですよね、ヒラリーマンさん。あはははは」
「ははははは」
深夜の露天風呂はガラガラで、我々6人以外には痩せこけた60歳くらいのおじさんが一人いるだけ。もちろん、かわいいギャルが入ってくるなんて言う期待もむなしく、ただただビール片手に馬鹿話をするだけだった。
おじさんも料理については同感だったのか、僕らの話に苦笑いしながら、時たま湯船から出したタオルで顔を拭いているのであった。
しかし、人の良さそうなそのおじさんが、実はこの後我々を大いにビビらせたのであった。
一緒にきた奥さんが先に寝てしまったので、仕方なく一人で風呂にやってきたという感じのさえないおじさん。そう思っていたそのおじさんが風呂から上がったとき、我々はびっくりして、顔面が引きつってしまったのだ。
なんと、そのおじさんの背中には、2匹の竜が口から火を吐きながら舞っている、ものすごいイレズミ・・・・・・なんてものはなく、メラニン色素が凝縮したシミがあるだけだったけど、その肩にさっと羽織った白い上着に我々は驚いたのだ。
なんとその上着の胸には、こう刺繍がしてあったのであった。
「料理長」
「部長。あの、腹、痛くないですか?」
「あん? 痛くないけど・・・・・・。何だおまえら?」
「いえ、べつに」
どうやら一服盛られてはいないようなのであった。
1999年12月28日(火) ジャンボーリーは名プログラマー
「ヒラリーマン君。何とかこれを自動化してくれないかなぁ?」
「それでしょ。やっぱりね。前からそう思ってたんですよ。以前提案したことありましたよね、ぼく?」
「ああ、そうだったね。そんな気がするよ」
「でしょ。だから早いうちにやっておけば、もっと楽だったのに」
「じゃ、頼めるかな?」
「任せておいてくださいよ。人間だと間違いだらけだけど、コンピューターならばっちり。計算間違えなんてないですからね」
「そーだね。じゃ、頼んだよ!」
「はーい」
こういう調子のいいやりとりで僕は、財務課の債権管理システムを引き受けてしまった。
物を売れば債権が発生する。つまり、お金をもらう権利だ。そして相手から払い込みがあれば、債権はその分減ることになる。
つまり、簡単に言えばどのお客からあといくらお金をもらえることになっていて、それがいつもらえるのかというのを管理するのが、債権管理なのである。
逆にこちらからどこかの会社に支払うものもでてくるから、それと組み合わせれば資金繰りの計画を立てることができる。
銀行からいついくら借りておくとか、いつからいつまでお金が浮いているからそれを資金運用に回すとか、そういうことを考えるベースデータとなるのだ。
これは客先が何百何千となってくると非常に大変で、人間が手計算すると間違えもでるからどうしてもコンピューターでの管理が必要になってくるのである。
システムの開発はいつも通り大同システムシステムに依頼したが、やってきたプログラマーは下請けで新顔のジャンボリー君だった。
このジャンボリー君は気持ちの悪いやつで、躁鬱病気味。
調子のいいときはしゃべりまくって、「僕はドライブすると3日寝ないで運転しちゃうんです」なんて、シンナーでもやっていたような真っ黒の歯をむき出すのだが、調子が悪いと完全に貝のように口を閉ざして無口になってしまう。
一度なんて、貝になった状態の時に近所で火事があったら、とつぜん「ジャンボリージャンボリ、ジャンボリージャンボリ、ジャンボリージャンボリ、アハッハッハッハッハッハッハッハ」と叫んで踊りだしたという、相当危ないやつなのである。
こんな発作もあるし、普段ぶつぶつと変なことを口走る変態性を帯びたジャンボリー君なので、僕は最初から不安だったのだけれど、それが的中してしまったのだ。
「おかしいですね。このテストデータだと、債権残高は291万3810円になるなずなんですがねぇ」
「結果は291万3800円ですか。おかしいですねぇ」
10円合わないのだ。
何度計算させても、10円だけ合わないのである。
「なんで10円合わないんだろ?」
「端数はちゃんとみてるんですけどねぇ」
簡単にわかりそうでわからない。とにかく10円合わないのだ。
社内とはいえども納期というものがる。僕は明日このソフトを引き渡すということを財務課に言ってあるので、なにが何でもこの10円問題は今日中に片づけなくてはいけない。僕はそのことをジャンボリー君に強く求めた。
「とにかくどこかがおかしいんだから、なおしてください」
ところがジャンボリー君はなんと、こんなことを平気で言いだしたのである。
「今日は帰ります。これから飲み会の約束があるんで」
アホかきみ。飲み会と客先仕事のどっちが大切なんだ! 契約では今日完成だろ!
「でも、前から約束してたんで・・・・・・」
そんなもの、先着順になるか! 契約書の方がもっと大事な約束だろ!
「でも、かわいい女の子なんですよ。やっと落としたんで」
ばかやろーー! そんなもん、知るかぁーー! うらやましいーー! できあがるまで絶対に行かせないぞ。何なら僕が代わりに行ってやるーー! でへでへでへ。
とにかくこのジャンボリー君は、最初から責任感という物がほとんどなかった。話をしていてもなんだかちゃらんぽらんで信用がおけない。
まるで自分をみているみたいで非常に不安になってくるのであった。
こういう10円だけ合わないという問題は意外と解決が難しいもので、はまりこんでしまうと何日も抜けられない。今まで思いもつかなかった問題だったり、技術レベルの高い問題だたったりするのである。
ところがジャンボリー君はそれを10分ほどでチョイチョイとなおしてしまったのだ。驚くべき早さなのである。
「はいできました。じゃ、僕はこれで帰ります。これがテスト結果です。OKですよね。じゃ、帰ります。ジャンボリージャンボリジャンボリ〜」
足早に去っていってしまったのだ。
ジャンボリー君の差し出したテスト結果は実にぴったりと、足りなかったはずの10円がめでたく戻ってきていて、バッチリ合っているのであった。
「意外とあいつ、いい加減なようで実はなかなかやるじゃん。結構優秀なんだねぇ。なんか、馬鹿にして悪いことしちゃったな」
「いいえ、ヒラリーマンさん。そんなことないですよ」
「なにがだい、矢田君?」
「あの野郎、相当いい加減ですよ。みてください。取引データのない客先まで全部10円の債権がついてます」
「なんで?」
「ほらこれ」
なんとジャンボリーのやつ、プログラム上で最後の結果に無条件に10円だけ足して帰ったのだった。
ふざけやがって!