ヒラエッセイ
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2004年5月6日(木) アリンコの理論
みなさんはアリンコの理論をご存じだろうか。
働き蟻といえば、働くから働き蟻なのであって、いかにもみんな働きそうに思えるのだが、人間と同じく働かない奴と働く奴がいるらしい。
その働き蟻たちの動きを観察すると、3種類に別れ、その割合も決まっているというのがアリンコの理論だ。
まず最初が、その名前の通り一生懸命働く蟻さんたち。これは全体の30%しかいない。次が、まあまあ働く蟻さんたち。これは全体の40%を占める。そして最後が全然働かない蟻さんたちだ。これは残りの30%。
さて、それではこの蟻たちを働きでわけたら、いったいどうなるのだろうか。そういう実験がある。
つまり、一生懸命働く蟻。まあまあ働く蟻。全然働かない蟻を別々に集めるのだ。そして、集めた蟻は別々に生活をさせる。
蟻だから、当然巣作りをはじめるわけだが、もちろんこうなれば精鋭だけを集めた働き者蟻さんチームはすごい勢いで巣を完成させ、全然働かない蟻さんチームはほとんどキリギリス状態になってしまうと予想するだろう。ところがこれをやってみると、そうではなくなるらしい。
結論を言うと、どの巣も元のとおり、30%、40%、30%の割合で働きの違う蟻ができるという。一生懸命働いていた蟻の中から怠け蟻がでるし、怠け蟻の中からも働き蟻がでるという仕組みだ。
どうやらこれは、自然に生まれるバランスで、必要なバランスであるらしい。
ここから連想させることは、もしかしたら人間もそうなのではないかということだ。
この理論が人間にも適用されるなら、働かない奴、まあまあ働く奴を全部すごく働く人間にしようとしてもそれは無理だという結論になる。怠ける奴がいるからこそ働く奴がいて、働く奴がいるからこそ怠ける奴がいるという、必須のバランスがそこに存在することになる。だから、働きの悪い社員だけを辞めさせたらコストパフォーマンスがあがると思うのはまったく間違った人事思想だということになるのだ。
怠ける奴は、ただ怠けているだけではない。それは、周りの人間をまあまあ働かせたり、必死に働かせるための源である、バランスの一部を担っているのである。
そういえば、この間上司に「君の部下になると能力が伸びるね。よく働いてるよ」って、言われたっけ・・・・・・。
2004年5月7日(金) 食い放題の理論
食い放題でよく耳にするのは、「元が取れる」とか「元が取れない」という言葉だ。中にはこれを「勝った」「負けた」と表現する人もいる。
これは食い放題で食べる客の方からみた場合であるけれども、それは当然店から見た場合、客のそれとは逆になる。
この勝ち負けの基準は単純で、
「(食べた量×単価)>(食い放題価格)→ 客の勝ち」
という考え方だ。つまり実際に食べた量に対して、これがもしも食い放題じゃなかったらいくらになるのかを想定して、その金額よりも食い放題の代金が低ければ客の勝ち、高ければ客の負けというものだ。
だから、これから食べ始める客が勝つ意欲を丸出しにして、「よーし、1500円の元を取ってやる!」と言うと、これは通常であれば1500円分とおぼしき量よりも余計に喰ってやる、という意味なのである。
しかし、この考え方には大きな要素の欠落がある。その要素とは、「そもそもどれだけ食べたいのか?」という、「食べたい量」だ。これを入れなくては本来の勝ち負けは出せない。なぜならば、食べたい量を食べることと、食べたくない量を食べるのは根本的に違うからである。
食べたいものを食べる、食べたい量を食べるというのは、その行為自体とてもうれしいことだ。好物を舌鼓を打ちながら好きなだけ食べる。これは贅沢だ。
ところが、「もう食いたくない」と思いながら食べるのは喜びではなく、苦痛にすぎない。おまけに食ったあとデブになるというおまけ付き。女性には特にありがたくない話だ。だから、「食べられる量を食べる」と「食べたい量を食べる」を同じ価値として考えるとに間違えがあることは明白だ。
この要素を考えると、勝ち負けは先ほどの式ではなく、次の式に置き換えるべきであることがわかる。それは、
「(食べたい量×単価)>(食い放題価格)→ 客の勝ち」
だ。
単価と食い放題価格は固定値であって、変動値は「食べたい量」だけだ。
ここで、食い放題価格についてちょっと考えてみよう。
食い放題にすることで客足が多くなることが当然あるが、いまは単純化して考えるために、客足は同じだとする。
そうすると、もしも多くの人が勝つ設定で食い放題価格を設定すると、店は食い放題方式にしたことで損をしてしまうので、価格設定はそれよりも上にするだろう。
しかし、それだけではない。「食べたいだけ食べる」という枠をぶち破り、食べたくない量まで食べて「勝った」と騒ぐ馬鹿がいることまで考慮すると、客が食う量は食べたい量を大幅に超えることになるはずだ。その量をあらかじめ計算に入れて、それでトントンになるように基準価格を考えて、それよりも少し高くしなくてはならない。もちろん高すぎると人が来ないから、やすそうに見えるぎりぎりの価格設定となるだろう。
商売なんだから、当然そのくらいのことは考えるはずだ。
すると、次のことが言える。
「食い放題の価格は、食べたい量の平均値を少し上回る食欲の人は引き分けになるように設定されている」
これらのことを総合的に考えると次のような結論が見いださせる。
「食い放題で得をするかどうかは人によって決まるのであり、がんばるとかがんばらないは関係ない。食欲が平均的食欲+αを越える人でないと、決して得をすることはない」
これらのことを体系的にとらえて慎重に検討した結果、本日の昼飯は1500円のすし食い放題をやめて、1200円のすしランチを出す店にしようと決定したのである。
2004年5月10日(月) ナンパの理論
ナンパというものを僕はやったことがない。
街角でかわいい女の子を物色し、「ヘイ彼女、お茶飲まない?」
これが、僕らの時代の正しいナンパの仕方だった。
「お茶飲まない?」とは言うものの、縁側で向き合って、せんべいをかじりながら番茶をすするひとはいない。これは単なるおきまりのフレーズであって、喫茶店にでも入って少しお話ししてから、デートに出かけるというのがパターンだ。
しかしこれを田舎でやると、そのまま受け取られることがある。意味がわからない素朴な女性たちは喫茶店に入ると、「私お茶よりもコーヒーの方がいいんですけど、いいですか?」と訛った日本語で許可を求め、そのコーヒーも飲み終わると「ご馳走様でした」と礼儀正しく挨拶して帰ってしまったりする。やっぱりこういうのは、わかっている人にやらないといけない。
ナンパの成功率というのはどんなものか知らないが、僕の後輩にはカルロスというあだ名のナンパ名人がいて、彼の成功率は優に5割を超えていた。
彼はアジア系とも中東系とも言える顔をしていてる。僕が取引先とオープンスペースで話をしているとき、目の前を通るカルロスを見た取引先の課長が、「お宅は進んでますなぁ、外国人を雇用しているとは」とまじめに言ったほどだ。こっちも面倒くさいので、「そーなんすよ、だはははは」とそのままにしておいた。
同期会があってカルロスたちは数人でフィリピンバーに行ったそうだが、そのときフィリピーナが片言の日本語で「おしぼりどうぞ」いいながら一人ずつにおしぼりを渡してくれたらしいのだが、カルロスにだけはタガログ語で言ったそうだ。
営業社員のカルロスが客先の店に出向いたときにも、取引先の社長に呼ばれて出かけたカルロスにちょうどそこで塀を作る作業をしていたイラン人たちが「こっちだこっちだ、お前はこっちだ」と手招きをしたというのだ。
「くそ、間違えやがって」と思いながら客先の事務所に入ったカルロスに、初対面だった社長の奥さんは「だめだめ、こっちは違う。塀の人はあっち、あっち!」と追撃したそうだ。
カルロスはしゃべり方もちょっと変わっていて、外国人がたどたどしく話すあの日本語ににている。その顔でそのしゃべり方で「ちょっと〜いいですかーん?」と話しかければ、外国人だと思いこむのも無理はない。
そんなカルロスのナンパに、外国人に弱い日本人女性はとりあえず立ち止まってしまうというのだ。「道でも聞きたいのかしら?」と、思うのだろう。
ナンパの第一難関は足を止めさせることなのだそうだ。足を止める女性は何らかの興味があって止まるのであって、最初からNOだったら、足早に通り過ぎてしまう。
立ち止まって話を聞いてくれれば自分をアピールできるのだから、そこからが第二難関となる。
「あなたとてもきれいですねーん。ちょとぅ〜お茶でも飲みませんかーん?」
と、ここでカルロスは伝統的なナンパを開始する。
日本人の知らない男に「きれいだ」なんて言われると何となく気持ち悪いのではないかと思うのだが、相手が外国人となると違ってくるらしい。
この誘いに多くの女性が乗り、「じゃーちょっとだけならん、いいですよ〜ん」となぜかつられて変な日本語で答えてしまえば、それはカルロスの思うつぼだ。
カルロスがナンパで仕留めた女性の何人かは、その後彼の恋人になっておつき合いをしたそうだが、いずれも長くは続かなかった。
独身だと言っていた男があとになって既婚だとわかったという話はよく聞くが、外人だと思ってつきあっていたのに実は日本人だったという話はあまり聞かない。しかし、カルロスの場合はそうなる。中には日本人だとわかった瞬間から態度が硬化してしまうことがあるらしい。
そんなカルロスは数年前、長年やり続けたナンパをこう理論づけた。
「ナンパというのは〜失敗すると空しいで〜す。お茶どころか〜飯まで食って、そのまま食い逃げされたりすることもあって、ものすご〜く空しくなりま〜す。でも、うまくいったときも、また空しいで〜す。なぜなら、ナンパでついてくる女の子って、ろくなもんじゃないからで〜す。頭空っぽだしぃ〜、尻軽で〜す。つきあっていても〜簡単に他の男に抱かれま〜す。貞操観念が欠落してま〜す。そういう女性は僕の趣味じゃありませ〜ん。失敗したら何にもならなくて、成功しても趣味じゃない女の子なら〜、どっちにしてもやる意味がないで〜す。だから、ナンパって意味のないことなので〜す」
そんなカルロスは数年後、年上の女性にナンパされて結婚した。ナンパ行為は理論的に無意味だと言っていたカルロスだが、ナンパされることには意味があるらしい。
ちなみに僕は、ナンパされたこともない。
2004年5月11日(火) オー人事
テレビを見ていると、人材派遣会社のCMが面白い。
このCMの概要は、今の会社がいやになったら人材派遣会社に登録しましょうというもので、中には「メールが伝書鳩だったら・・・・・・」なんてあり得ない話もあるけれど、だいたいはありそうな状況を描いている。
「会社に入れなかったら・・・・・・」「会社が傾いたら・・・・・・」「派閥争いに巻き込まれたら・・・・・・」「上司との距離を感じたら・・・・・・」「上司に恵まれなかったら・・・・・・」
どれかは誰にでも当てはまりそうで、面白いし、センスがいい。
女子社員からみたら、他にも会社を辞めたい理由はありそうだ。
会社が大奥みたいになっていて、「会社がお局様に支配されていたら・・・・・・」なんてのもいいかも知れない。
先日テレビを見ていたら、そのCMづくりを紹介した番組をやっていた。
広告代理店の社員たちが、インパクトのあるCMを必死に制作していた。制作するのは数作で、それをプレビューして、気に入ったものに決めてもらうというものだ。
広告代理店の社員たちは、自分たちの作品が気に入ってもらえるかどうかドキドキしながら、人材派遣会社の社員たちに披露する・・・・・・と思っていたらびっくり。なんと、そこに来ているのはこの派遣会社の社長だった。
この社長は、試作されたCMを自ら視聴して、そして注文をつけたりしている。もちろん、最終的に決定するのも社長だ。
このときも視聴をしながら思わず笑ってしまった作品に社長はGOを出した。
仕事というのは、自分が作ったり決定したりしたことが生きてくるからやる気がでるものだ。自分の権限範囲で物事を決めたあと、課長や部長、あるいは役員のレベルで没になる場合はあるが、これは仕方がない。そのときは、没にならないような仕事をしようと次回に期待すればまたやる気もでてくる。
ところが、上司が部下の権限範疇まで降りてきて、細かいことまで全部仕切ってしまうと、任されたい部下はやる気をなくしてしまう。
創業社長にはこういうことをわかっていて、現場に出たくても我慢する人もいれば、まったくわからずに、自分が興味のあることは誰にも任せず全部仕切りたがる社長もいる。これだと社員の能力は伸びないし、やる気もなくなってしまう。
そんな社長を僕は「代表取締役係長」と呼んでいる。
もしもそんな会社だったら、早いところ転職を考えた方がいいかも知れない。
「社長が代表取締役係長だったら、オー人事、オー人事」
2004年5月21日(金) コンプライアンス
コンプライアンスに関する社内説明会があった。担当は総務部の高瀬課長だ。この会議は数回にわけて行うらしく、今日は大会議室に60人ほどが集まった。
コンプライアンスというのは最近はやっているもので、「法律遵守」のことだ。もともとこの単語に法律遵守なんていう意味はないので、いわば企業用語なのだろう。
つまり、企業が違法なことをしないようにするための取り決めで、法律だけではなく社内規定も含めていて、その徹底を従業員に呼びかけることによって、社会的に信用を失うような行為を規制しようというものだ。
のんきな当社も、社長の「コンプライアンス徹底」というかけ声の元、急に始められたのである。
「情報システムからも、ぜひ項目をピックアップしてくれ」
数ヶ月前に高瀬課長に頼まれて、僕はソフトの違法コピー禁止や、ネット上の著作物の無断使用などについての数項目を提出していた。
会場には社長を筆頭に、総務担当重役、総務部長、課長、そして各部署の面々が集まっていた。
社長の挨拶から始まり、会議は華々しくスタートした。壇上に立った高瀬課長は我が社を代表する適当アナログ男なので、どうもこういう新しいものには似つかわしくないと思ったのは僕だけではないだろう。
「社長のご挨拶にあったように、我々は企業人としてあるいは社会人としての見本を示さなくてはなりません」
似つかわしくない男の挨拶だけに、どこまで本気なのか知らないけれど、高瀬課長はまじめな顔で講演を続けていた。
「国内法、国際法、はたまた社会通念上、あるいは常識といった観点から、社会の批判を浴びるような行為は、当社の社員である以上一切慎んでいただかなくてはなりません」
社長の肝いりで始められた話だから、あまり軽視するわけにも行かない。そうは思いつつも昼食の直後ともなれば眠くなる。ふと周りを見ると、僕以外にも数人がこっくりこっくりしていた。
それに気づいたのかどうか、高瀬課長は皆の眠気を吹き飛ばすかのように、さらに声のトーンを高くして言った。いやそれはほとんど叫びに近かった。
「開場時に皆さんにお配りしたこのテキストをご覧ください。いいですか皆さん、ここに書かれていることは本来は当たり前のことであって、改めて言う話ではありません。要するに法律を守らなくてはいけないという当然のことが骨子であり、そんなことは元々言うまでもない! しかし、そのことがどう企業に関係があり、企業としてとるべき態度がいかなるものなのかということがわかりやすくこのテキストに書かれておりますので、ぜひとも熟読していただくことをお願い・・・・・・いや、お願いではなく、それが義務なのであります!」
高瀬課長はサラリーマンらしく、ちらちらと横目で社長の反応を伺いながら右手を高く挙げて振り回しながら熱弁を続けた。
その手には、先週本屋で買ったコンプライアンスについてのビジネス書を違法コピーして表紙だけ作り替えた分厚いマニュアルがしっかりと握られていた。