ヒラエッセイ

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2000年11月7日(火) 鼻くそ

 会社からの帰り道、OL風の女の子2人が楽しそうに話しをしていた。
 いかにも楽しそうだと、僕はついつい聞き耳を立ててしまうのだ。

「今日さぁ、田崎課長ったら鼻くそほじってたのよ」
「げ、きったなーい」
「決算説明会あったじゃないよー、今日」
「うんうん、大会議室でね」
「そうそう。それでみんなそれを聞きに行ってて、課にいなかったでしょ」
「うん。あたしも出たよ。美紀、でなかったんだ?」
「一度はいったんだけどさぁ、なんか人が多く・・・・・・。あたしって人酔いする人じゃない」
「そうだよね。デパートとか苦手だもんね」
「だから〜、戻ってきちゃったのよ」
「そうなんだぁ。それで?」
「それで課に帰ってきたらさぁ、田崎課長が一人でいたの」
「それで?」
「それでね、田崎課長ったら誰もいないと思って、すっごい豪快に鼻くそほじってたの」
「うへ〜」
「しかも・・・・・・」
「しかも?」
「ちょうどでっかい鼻くそをゲットしたころで、満足そうにそれを指でくるくる回してんのよ〜」
「きゃーー。やっだー。きったなーーい。さいてーい!」
「でしょー。きったないよね。もう信じらな−い!」

 たしかに汚い話しなんだけど、ぼくはどうも合点がいかないのだ。つまり簡単に言えば、僕は彼女たちにこう聞きたかったのである。
「君たちは、鼻くそはほじらないの?」
 と。するとおそらくその後はこんな会話はこうなるのだろう。

「失礼ね。ほじらないわよ!」
「ほーそうかい。でもほじらないとすると、君の鼻の穴は長年のうちに鼻水や空気中のゴミによって形成された鼻くそで、完全にふさがっているはずじゃないか?」
「そ、そんな・・・・・・」
「君の鼻の穴は今、鼻くそだらけかい?」
「そんなことないわよ。ちゃんと綺麗に・・・・・・」
「綺麗に? ちゃんと綺麗に掃除してあるんだね?」
「そ、それはもちろん・・・・・・」
「綺麗に掃除したと言うその行為は、それこそまさに、鼻くそほじりじゃないか!?」
「う・・・・・・」

 そうなのだ。
 鼻くそは誰でもほじる。深田恭子も松島ななこもみんなほじるはずなのだ。
 鼻くそほじりというのは排便や耳くそほじりと同じで、人間の排泄行為だ。耳くそは耳かきを使った方がとれやすいけど、鼻くそは指の方がいい。鼻の奥深くに指を突っ込み、そしてなぜか口をあんぐり開ける。これが正しい鼻くそほじりのポーズだ。
 そして鼻くそは粘着力があるから指でくるくる回さないと手にくっついてとれない。だから、回すのが自然だ。十分こねくり回して粘着力を弱めてから、回転力をかけてボール状になった鼻くそを開放すると、鼻くそはびっくりするほどシュート回転がかかって弧を描きながら消えていくのだ。それが正しい鼻くその捨て方なのである。
 それに、鼻くそほじりというのは実に楽しい。でっかいのがとれたりすると、やけに嬉しくなるものなのだ。だからうっかりつめを切りすぎて鼻くそがほじにくくなったりすると、「鼻くそほじる分は確保して切るべきだったな」と反省したりする。それほど楽しいものなである。
 鼻くそほじりが楽しいという証拠に、僕はいままで「鼻くそほじりって大変だ。だれかやってくれないかな」と言った奴を一人も知らない。一般大衆が欲しいと思う物はなんでもどんどん開発してきた超一流の電気メーカーだって、鼻毛切り機は開発しても、電動鼻くそほじくり機なんてぜんぜん作っていない。みんな密かにちょっとした他人の隙を狙って、こっそり楽しそうに鼻くそをほじっているのだから、そんな商品など売れるわけはないのだ。
 しかし、しかしである。やはり鼻くそほじりは他人の目の前でやるべきものではない。人のいない場所でゆっくりやる。それがエチケットでもあり醍醐味でもあるのだ。
 だから、誰もいないと思っていた場所で鼻くそをほじっていた田崎課長の行為というのはいかにも正当な行為であって、決して何人たりとも批難できるものではない。
 それを「きったなーい。信じられな−い」というこのおねーちゃんたちは、極めて非論理的であり、身勝手であり、虚栄心豊かな偽善者と言えるだろう。

  と、そんなことを考えて暇つぶしをしてたのけれど、彼女たちの細い鼻の穴を見ていると、いったいどうやって鼻くそをほじるんだろうと、余計な心配をしてしまうのであった。

2000年11月22日(水) ノミのモノ

 内閣不信任案が否決されてしまった。
 内閣不信任案とはなにかというと、「この内閣はダメだと思いませんか? ボンクラの集まりだからやめて欲しいと、そう思いませんか?」という案を国会に提出することだ。
 で、「そうだそうだ。この内閣はだめだ、やめちまえ!」ということになると可決で、「そんなことないよ、なかなかいい内閣じゃないか」ということになると否決になるという、だいたいそんなことになっている。
 内閣としてはもしも可決されると「あ〜俺たちはダメなんだ。アホなんだ。役たたずなんだぁ〜!」と頭を抱えてみんなでやめちゃう「内閣総辞職」か、逆に開き直って「バカやろう、ふざけんなよ。なにが不信任だ、このインポやろう。俺たちはいい内閣なんだ。悪いのは可決しやがった国会議員だ。うそかほんとうか、もう一度国会議員を選びなおしてもらおうじゃないか!」というわけで解散総選挙をやるかのどちらかを選択することになるのである。
 それで、今回は内閣不信任案は否決されたわけだから、「なかなかいい内閣じゃないか」ということになったわけで、誰がそう判定したかというと自民党を中心にした与党ということになる。
 ところが現在、国民の内閣支持率が18%という前代未聞の数字が出ているらしいから、これはつまり「こりゃ、とんでもない内閣だ。さっさとやめやがれ、トンチキ!」と国民は思っているということだ。
 すると、国民は「「不信任だ」と言っているのに、自民党は「信任だ」と言ってるわけで、国民の意見と自民党の意見は一致していないのである。
 意見が一致しない政党には投票しないのがあたりまえだから、すると今度総選挙をやると自民党はぜんぜん票がとれなくて野党になってしまうかというと、毎度のことながらちゃんと与党に収まってしまう。
 要するに、どうでもいいのである。

 総理大臣は、
「今の総理は無能だ!」
「政治手腕がぜんぜんなってない」
 と、政治家としての命のはずである「能力」を否定されてもぜんぜん辞職に追い込まれない。ところが不思議なことに、ちょっとエッチなことをするとすぐに辞職になってしまうのだからあら不思議。
 かつての宇野元総理などは愛人にケチな手切れ金を渡したことが発端でそれがバレ、「宇野ピンクザウルス」なんていう凄いあだ名までつけられて、すぐに辞任に追い込まれてしまった。
 つまり、世論は政治手腕がなくてもせいぜい「困りますね。やめてもらいたいです。でもまぁ、いいか。あはは」なんて程度なのに、エッチだとなるととたんに「ハンレンチ! とんでもない奴ですよ、ええ。当然やめてもらわないと困りますね。やめろ、このやろう。やめちまえ!!!」とかなんとか大騒ぎして、民衆もマスコミも「やめろやめろ」と大合唱をするのである。
 どうしてそんなにみんながエッチを敵対視するのかというとこれはさっぱりわからない。だいたい、「ハレンチだ」なんて騒ぎ立ててはみたものの、そう騒いでいる一般市民も大体においてスケベなのだ。
 インターネットのホームページはエロサイトが人気ナンバー1だし、健全な男ならエロ本を買ったことが必ずある。いまじゃ電動こけしにピンクローター、バタフライなんていうエッチグッズが女性雑誌のCMにある通販で飛ぶように売れているらしい。
 もうすっかり寒くなって冬化粧の準備をはじめた札幌だって、ススキのあたりのエロイ場所はおお賑わいでエッチな遊びをしている人でいっぱいで、「今の総理はだめだなぁ」なんて語っている場所はソープの待合室だったりするのである。
 もしも、国勢調査に「エッチかエッチじゃないか」という項目を追加して調べたら、国民のほとんどはエッチなはずだ。つまり、エッチは普通なのであって、それほど珍しいものじゃない。人間がエッチじゃなかったら子供が出来なくて種は絶えてしまうから、そうならないように神様は人間をわざわざエッチに作っているのである。
 しかしそれでもなぜか民衆は政治家のエッチをたたくのだ。
 政治が下手でも、歌が下手でも、話が下手でも総理は続けられる。ところがエッチだとなるととたんに攻撃の的になってしまうのだから、政治家をつぶすにはとにかく異性のスキャンダルが最適なのである。
 だから、今の総理を辞めさせたければ、パンチの聞いた女性スキャンダルでも引っ張り出せばいいのだけれど、それがちっとも出てこなかったのは、総理があまりにも女にもてないということなのだろうか。
 思わず、「ノミ並は、心臓だけじゃなかったのか・・・・・・」なんて気持ちの悪い想像をしてしまったのであった。

2000年11月29日(水) 時計を合わせろ

 最近、どうもテレビのサスペンスドラマが面白くない。
 でてくる俳優もあまり好きじゃないし、筋書きも面白くないのだ。
 とはいうものの、文句を言いながらも見ているのだけれど、それでも面白くないのが続くとついつい今日はテレビはやめてビデオでも見ようかと、ビデオショップに足が向くのである。
 テレビサスペンスを超える期待値を考えると、こういう日はついついアクション物を借りてしまう。それも、主人公が刑事だなんていういかにも「いいひと」が主役になっているのはつまらない。そこで僕は主人公が強盗犯人というある映画を借りたのであった。
 さすがアメリカ映画、お金をかけているだけあって迫力が違う。でてくる俳優も一流どころで、ものすごい緊迫感なのだ。
 理由があって銀行に忍びこむ主人公率いる犯人チーム。バンに乗り込んで銀行の前につけ、そしてバンの床をぽっかり開けるとそこにはマンホールのふたがある。このマンホールを入っていくと、銀行の金庫室へ抜けるトンネルが掘ってあるのだ。
 バンの運転手、見張り役、偽装工作する役、実行部隊に別れるわけだが、ここでリーダーの主人公が渋い顔つきでみんなにいうのだ。
「よしみんないくぞ。時計を合わせろ。3、2、1、よし。じゃ、23時ジャストにスタートだ。いいな」
 無言でうなずくメンバーたち。かっこいいではないか。渋いではないか。
 しかし、僕はここでなぜかしっくり行かないものを感じてしまったのだ。
「なんか変だ」
 なにがどうということはないけれど、僕はなにかに違和感を感じたのであった。理由はわからないけれど、どうしても納得してこの先を見る気がしなくなってしまった。なぜだ、なんなんだ?
 僕はビデオをいったん止めて巻き戻し、そしてまたさっきのシーンを再生してみた。
「よしみんないくぞ。時計を合わせろ。3、2、1、よし。じゃ、23時ジャストにスタートだ。いいな」
 さっきも見た、かっこいいシーンだ。いかにもこれから銀行を襲おうという緊張感がみなぎっているではないか。しかしなんだろう。いったいなんなのだ。なにが僕に持っていきようのない違和感を与えるのだろう。わからない。だからもう一度見てみた。
「よしみんないくぞ。時計を合わせろ。3、2、1、よし。じゃ、23時ジャストにスタートだ。いいな」
 あ、これだ!!
 このかっこいいシーン、よくよく考えたらおかしいではないか。
 なにがおかしいって、この強盗は計画的犯行なのだ。皆十分に準備をして来ている筈なのだ。それがどうして、なんでアジトをでてくるときに時計を合わせてこないで、今ごろ合わせているのだろう。不自然ではないか。
 大学入試に来て、試験が始まる5分前になって初めて鉛筆を削る奴がいるだろうか。どうしたって前の晩から用意するはずじゃないか。
 そうだ。そういえばこういう風に実行直前に時計を合わせるシーンというのは他の映画やドラマでも見たことがある。つまりこれはワンパターンのシーンなのだ。そして、ワンパターンでありながら不自然なシーンでもあるのである。
 実際に自分の時計を合わせることを考えてみよう。そうすればこのシーンが現実離れしていることがよくわかるはずだ。これが実際だったら、こんな風じゃない。こうなるはずなのだ。
「よしみんないくぞ。時計を合わせろ。3、2、1、よし。じゃ、23時ジャストにスタートだ。いいな」
「ちょ、ちょっとまってくれ」
「なんだ?」
「早すぎるよ。15秒前からやってくれ」
「しょうがねーな。針が一周するまで待たなくちゃいけないじゃないか」
「す、すまねー」
「じゃ、いくぞ。15,14・・・・・・3、2、1、よし。じゃ、23時ジャストにスタートだ。いいな」
「ちょっとまてくれ」
「なんだよ」
「秒針は合わせたが、分針はどうなんだ」
「見せてみろ。なんだこりゃ、3分も進んでいるじゃねーか。他のみんなはいいか?」
「ま、まってくれ」
「なんだ、おまえもか。早くあわせろ」
「そうじゃないんだ」
「じゃ、なんだ?」
「時計の合わせ方、わからねーんだよ」
「なんだって? ばかかおめー!」
「だ、だってよ、この時計買ったばかりでまだ操作方法を覚えてないんだ。あ、そうだ。説明書がまだポケットにあったはずだ。ああ、これだ。ちょっとまってくれ」
「ばかやろう、なんて準備が悪いんだ」
「よしこれだ。わかったぞ。それじゃ合わせてくれ」
「よしいくぞ。3、2、1、0。どうだ?」
「あれ? あわねーぞ。おっかしいなぁ。もう一度見てみる。ええと、このボタンとこのボタンを同時に押して・・・・・・よし、今度は大丈夫だ」
「いい加減にしてくれ。じゃ、いくぞ。15、14・・・・・・3、2、1、よし。じゃ、23時ジャストにスタートだ。いいな」
「時計は合ったが、だめだ」
「今度はなんだよ!?」
「だってよー、もう23時すぎてるぜ」
「・・・・・・」

 こんなことを考えはじめるとすべてがわざとらしく見えてしまってどうもダメなのだ。最初からわざとらしいとわかっているテレビサスペンスをおとなしく見ていればよかったと、思うのであった。

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