ヒラエッセイ
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2000年12月1日(金) 大きい方は品切れです
どうも、はな風邪を引いてしまったらしい。季節の変わり目というのは風邪を引きやすいというけれど、なんともこれは不思議なのだ。
季節と言えば春夏秋冬。しかし、ある日いきなり春から夏に「ガチャン!」、夏から秋に「ガチャン!」と切り替わるわけじゃない。毎日だんだんと変わっているのだ。すると、季節の変わり目っていうのはいったいなんなんだという気がするのである。
これはようするに、風邪を引いたいい訳に過ぎなのではないかと思いながらも鼻水の多さに耐えかねて、僕は薬局に行った。
「風邪薬ください」
「はい。ええと、どれにしましょう?」
「どれが一番効くんですか?」
「これです。これが一番効きますね」
おばさん店員が最近売り出し中の風邪薬をさっと取り出した。
風邪薬でどれが一番効くのかという質問に対してこんなことがはっきりと答えられるものだろうか。「パブロンが最強です」とか「カコナールでばっちりです」とか、どこの製薬会社もしのぎを削って開発しているに、こんなに明快に答えられるというのは、「これが一番儲けが大きいんだよねー」なんていうような裏があるとしか思えないのだ。
そんな疑いの目でじと〜っと店員を見つめていたら、そこに別の客が割り込んできた。
「コンドームどこだぁ?」
僕は一瞬耳を疑ってしまった。
「なぁ、コンドームどこにあんだい?」
ここは薬局である。酒屋でもなければおもちゃ屋でもない。したがって、ここでコンドームを買うというのは正しい行為なのだ。しかし僕はこれほど潔く大きな声ではきはきと「コンドームくれ」と胸を張って注文をした男を見たことがなかったので驚いてしまったのである。
コンドームを買うとなれば普通は夜に自動販売機にこっそり行って買うものだ。もし買おうととしているときに人がきたら、慌ててその横にある缶ビールを買っちゃったりする。そしてまた人がいなくなったらコンドームの自動販売機の前に立つ。ところがいよいよ買おうとしたらまた人がきちゃって、今度はとなりの自動販売機で欲しくもないジュースを買っちゃったりする。そして人気がなくなるのを待って今度こそコンドームを買おうとしたら、ビールとジュースで小銭が足りなくなっていて、仕方なくそのまま帰ったりする。こんな風に苦労しながら買うのがコンドームの正しい買いかたなのだ。
もしも勇気を出して薬局に行けたとしても、そんなに堂々と買えるものじゃない。風邪薬を見ながら目をロンパリにして密かにコンドームサーチをはじめ、キョロキョロした結果やっと見つける。そして、欲しくもないシップ薬と一緒にこっそりコンドームをレジに出す。ところが意地の悪い店員だと大きな声で、
「このスキンは薄型イボイボつきですけど無臭タイプじゃありません。いいですか?」
なんて言いやがって、他の客がいっせいにこっちを向いたりするのだ。
とにかく、こんな風にこそこそとしならが苦労して買うのが美しいコンドームの買い方なのである。
ところがこのおじさんはこともあろうに大声を出しただけでなく、とんでもないことを言い出したのだ。
「でっかいサイズの、ないの?」
でっかいサイズときたもんだ。
「大きいのは今切れてるんですよー」
さすが商売。恥ずかしげもなく答えるおばさん店員。
しかし、僕はここで新たなる疑問にぶつかってしまったのだ。
「ドームにはサイズがあったのか?」
そういえば、昔アメリカがロシアに救援物資を送ったとき、一番サイズの大きいコンドームに「Sサイズ」という表示をわざとつけて送ったという話しを聞いたことがあった。他にも、薬局のおじさんがコンドームを買いにきた若い女性に「どれくらいの大きさですか?」と尋ねたら、その子が急に口をぽっかり開けて、その開けた口の大きさを指で計ってから、「これくらいです」と答えたという話などがある。
すると、やっぱりコンドームにはサイズがあるのだろうか。
「ないのかぁ、でっかいのは。俺、でっかいんだよなー。かなりでかいんだ。困ったなぁ、でかいから。ががーん!とでかいんだよ」
ががーん!のときにおじさんが広げた手の幅によると、このおじさんの一物は直径30センチくらいあるらしいけど、それじゃ化け物だ。
おじさんはさんざん「でっかい」を連発した挙句に、「なーんだ、でっかいのはないのか。しょうがないな」と言いながら去って行った。
そして、その後姿をボーっと見つめるぼくはおばさん店員の声で我に帰った。
「お客さんは大きい方? 小さい方? どっち?」
「えっ。ふ、普通だと思います!」
慌てて答える僕に向かって、風邪薬の大と小を持ったおばさん店員はニコニコ笑っているのであった。
2000年12月12日(火) 球団の名前
突然思ったのだけれど、ファンの方には大変申し訳ないが・・・・・・「日本ハム」という野球チームはおかしくないだろうか。
肉屋に「日本ハム」はおかしくない。スーパーマーケットでもいいし、デパートのお歳暮コーナーでもいい。しかし、野球場のグランドに立つチームが「日本ハム」は変じゃないだろうか。
ぼくとしては、あのチーム名は腹を抱えて笑うべき名前だと思う。後ろに「ファイターズ」なんてついてるけど、それじゃすまないのではないか。それどころか、あれがまたミスマッチなのだ。
「日本ハムバーベキューズ」とか「日本ハムソーセージズ」とか「日本ハムサンドズ」とかだとマッチすると思うのだけど、どっちにしても恥ずかしいチーム名であることは変わらない。
それがスポンサー名であることは僕だって知ってる。でも、野球チームにマッチする名前かどうかは別問題ではないかと思うのだ。
もしもここで丸大ハムが球団を抱えたらどうするんだ。
「日本ハム対丸大ハム」
誰も野球の対決だなんて思わないじゃないか。
そんなことをふと思いながら考えていたら、僕は凄いことに気がついてしまったのだ。
「巨人も、へんだ」
そうなのだ。
子供の頃から大橋巨泉が「司会は巨泉、野球は巨人ってなもんで、うっしっし!」なんて言ってたし、マンガでは「巨人の星」が大ブレークしていたので、「巨人」という発音は極めて耳慣れた音だった。しかし、改めて考えてみるとこれはすごーく変な名前なのである。
これは、「きょ」にアクセントをおいて発音すると自然なのだけれど、本来この漢字はそういうアクセントではない。
「たいへんだーーー。海岸を、街に向かって巨人が歩いてくるぞーーー!」
の巨人のアクセントで発音をすると、実にへんてこな名前なのである。
だいたい意味だっておかしい。でっかい奴ばかりそろってるわけじゃないのに、巨人だなんて、凄くダサいのだ。巨人がおかしくないというのなら、小人もおかしくないはずじゃないか。
「小人コロボックルズ」なんてのがあったら、実にすばしっこくてすばらしい内野ワークを見せそうなのであるが、やっぱり名前としてはかっこ悪い。
「馬鹿やろう、あれは大リーグのジャイアンツを真似てそれを直訳したんだ」
そういわれても、そんなことは関係がないじゃないか。おかしいものはおかしいのだ。直訳なら許せるというのなら、「レッドソックス」はいったいどうなるんだ。
「9回の表、『巨人』対『赤い靴下』。カウントは2&2」
「赤い靴下」なんて名前を許したら、しまいには歯磨き粉メーカーまででてきてしまうじゃないか。
「わからなくなってきましたねー、中畑さん」
「そうですねぇ。『赤い靴下』はここが正念場でしょう」
「そうですねー。一方の『白い歯』はマジック3が点灯してますからねー」
夕食中に野球中継を見てそんなことを考えていたら、口の中が歯磨き粉臭くなってきた。
そしてぼくは、さらに余計なことを考えてしまったのだ。
「もしも便器メーカーが球団を抱えたら、いったいどうなるのだろう・・・・・・」
ぼくは静に箸をおいたのであった。
2000年12月19日(火) 明日はわが身
冷蔵庫を買った。
いままで使っていた冷蔵庫は400リットル弱のもので、11年前に買ったものだった。簡単に言えば、家内の嫁入り道具なのだ。
嫁入り道具だとはいっても、家内が勝手に持ってきたのではなくて、一緒に選んだものだった。
これまた二人で選んだといってもやはり冷蔵庫を使う主役は家内だ。ぼくはとなりで「うんうん」と話しを聞いているだけで、意見を言ったところできいちゃもらえない。何をどう言おうが結局は家内が決めることになるのである。
「大きさもちょうどいいし、ほらほら見て。この冷凍庫のこのポケット。それからほらほら、冷蔵室の仕切りも凄く使いやすそうよ」
「ああ、そうかい。でも俺はこっちの方が・・・・・・」
「だめよそんなの。ほらほら。これなんてこんな風になっているけど、こっちはうまく出来てるわ。ねぇ、そう思わない?」
「まーそうだね。でもこれの方が・・・・・・」
「だめだったら、そんなの。やっぱりこれね。これがダントツで使い安そうよ。センスが違うわね。ね、そう思うでしょ?」
「そうもいえるど、これもなかなか・・・・・・」
「でしょでしょ。そうよねぇーこれは最高よ。じゃ、これに決めた!」
「あ、そ」
というわけで、その冷蔵庫に決まったのである。
いくら気に入ったものでも11年使えば、相当くたびれてくる。パッキングはいかれてくるし、消費電力も今のものに比べて多いし、モーターもうるさくなってきた。そしてやはり最新の物から見れば見劣りがするようになってきたのである。
11年前の冷蔵庫といまの冷蔵庫の大きな違いは冷凍庫の位置である。
僕が子供の頃の冷蔵庫といえば、冷凍室はなかった。ドアはひとつで上のほうに製氷室というのがあって、そこは氷を作るためのスペースだった。
ところが冷凍室がつくようになると、冷蔵庫は2ドアになった。そして上の小さな扉が必ず冷凍庫だった。ここから冷凍庫の固定観念は始まったのである。
「冷凍庫は上にある」
これが冷凍庫に関する世界中の固定観念なのだ。
それ以来作られる冷蔵庫はみんな上の段が冷凍庫になっていた。冷蔵室が観音開きになったりしても、その上にわざわざ冷凍庫がついていて3ドアになっていた。
なにがなんでも冷凍室は上にあるもので、それを下にもってくるなんて言い出したら病院に入れられてしまうんじゃないかと思うほど誰もが「常識」として決めつけていたのである。
ところが、いまの冷凍室は上にはない。上が冷蔵室で冷凍室は下にあるのだ。それはなぜか。
そんなのは使ってみればわかる。冷蔵してあるものは賞味期限が短い。したがって、しょっちゅう出し入れをする。だから、棚を作って整理し、いつでも簡単に取り出せるように作ってある。ところが冷凍食品というのは基本的にストックである。大量に買い込んできて、いざというときに出す。買ってきた順番と食べる順番に関連はない。となると、とにかくつめられるだけ詰め込んでおきたいということになる。
詰め込めるだけ詰め込めるには、ドアが開き戸では困る。下手に開けるとかちんかちんに凍った物体が転げ落ちてきて、足に直撃してしまうかも知れない。子供の頭にでもあたったら死んでしまうことだって考えられる。だから、冷凍庫は引き出しになっていて、上から出し入れできるほうがいいのだけれど、いままでの位置では身長3メートルはないと無理だから、どうしても下の段に持っていくことになるのだ。
だから今、冷凍庫は下にある。これはどう考えてもこの位置の方がよくて、あたりまえなのだ。あたりまえだから、今じゃどこのメーカーもそうしているのである。
今はあたりまえの当然のことが、11年前は当たり前じゃなかった。不思議だけれどそんなことはいくらでもある。例えば電話がそうだ。
かつて電話はどの家でも玄関にあった。それは、電話の普及率が低くて呼出電話があたりまえだったときに、玄関で他人様に電話を貸す習慣からきたものだろう。
そしてどの家でも電話を持つようになり、公衆電話もあたりまえになったときでも、まだ電話は玄関にあった。新しくつけるときも玄関につけたのだ。
僕がまだ小学生だったとき、改築した我が家に来た電電公社の工事の人は、部屋の中に電話をつけるように要求する父に、「お宅は変わってますね。電話っていうのは玄関につけるもんですよ」といったのである。
しかしいずれ、その固定観念は突き破られ、電話は地域の持ち物から家族、そして個人の持ち物へと変化していった。
固定観念を打ち破ることが、発展の第一歩なのである。
とはいうものの・・・・・・。
「この冷蔵庫は使いにくくてだめ。こんなのじゃぜんぜん整理できないわよ。まったくどう言うセンスしてるのかしらね、これを設計した人。信じられないわ。使いにくいったらないの。きっとこれって、実際に家事をしない人が頭の中だけで考えたのよ。料理をする人だったらこんな風には作らないわよ。もう使い物にならないわ、こんな冷蔵庫。最近の冷蔵庫はいいのよね。実にうまく出来てるの。センスが凄くよくて・・・・・・」
11年前には「使いやすい」と評価された冷蔵庫が、いまの家内にかかるとかくもボロくそに言われる。あの時使い安くセンスがいいと言った評価だったのに、こんなに言い分が変わってもいいのだろうか。
そういえば、女も子供も年寄りもまだ使えるかもしれないものを買い換えようとするときは同じ挙動に出るらしい。新たなものを買う必要性があることを自分に納得させようとするために、一生懸命現状のものを批判しようとして悪口をいうのだ。
可愛そうに我が家の冷蔵庫君は11年間一生懸命働いた最後の最後で、慰労されるどころかボロクソにいわれて我が家を去ることになったのである。
ぼくはなんとなく、「どっかで聞いたせりふだなぁ」と思いながら冷蔵庫を見送ったのであった。
「まったく、大掃除くらい手伝ってよ。友達の話とか聞いてるとうちの旦那さんが一番家のこと手伝ってくれないみたいよ。全くどう教育されて育ったのか、信じられないわ。使えないったらないわよ。他のうちの旦那さんは換気扇やらお風呂場やら色々ぴかぴかにしてくれるらしいし・・・・・・」