ヒラエッセイ

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2001年1月29日(月) 君は線路に降りれるか?

 JRの新大久保駅で、線路に転落した男性を助けようと、二人の勇気ある男性が救助を試み、3人とも死亡すると言う悲劇が起きた。
 見ず知らずの男性のために、たまたま通りかかったひとの中から2人もそんな人がいたなんて、成人式の馬鹿野郎たちを見て「日本も終わりだな」なんて思っていた日本人の心には感じるものが多かったのではないだろうか。

 実は僕も、線路に転落した酔っ払いを線路におりて助けたことがあるのだ。
 ある日のこと。酒を飲んでごきげんで、終電で帰ろうと地下鉄千代田線のホームで電車を待っていると、突然「ドスン」という鈍い音がした。なんだろうと思って回りをみると、何もない。
「なんかいま、ドスンって音がしませんでした?」
 ちかくにいた人にそう尋ねると、彼も確かに聞いたと言う。まさかと思って線路に近づいてみると、なんと男性が落ちて寝ているではないか。
 僕はそこでまず、「どっちから電車が入ってくるのか」を考えた。
「左だ。ってことは、あっちを見てればいいんだ」
 それからこうも思った。
「もしも電車がきたら目で確認が出来る位置だ。そして、万が一の時はホームの下に隙間があるから逃げ込めばいい」
 そう安全確認をしながら、僕は酔っ払いを抱き起こそうとしたのである。
 しかし、酔っ払ってグネグネになった人というのは、重い。これはやってみないとわからないと思うけれど、びっくりするほど持ち上がらないのである。
 上野駅でホームと電車との間に落ちた女性を引っ張りあげたこともあるけれど、あの時も重かった。グネグネも理由の一つだけれど、自分自身が焦ってしまっていて、十分に力を出す体勢をとっていないのだ。
 きっとコツをつかんでしまえば簡単だろうと思うのだけれど、何しろこんなことは初めてなのでそのコツがわからないのである。
 そして、やっとのことで肩に担いだら、強い光が目に入った。そしてガガンガガンガガンというけたたましい音が耳に飛び込んできた。電車が入ってきたのだ。
「ファンファーーン!」
 電車は僕らを見つけると、警笛を鳴らしつづけた。
 酔っ払いは担ぎ上げたと言うものの、こっちも酔っ払いだから腰がふらついてうまいこと歩けないのである。
 しかし、幸い駅の端の方での出来事で、本来の電車の停車位置からすると20メートルほど手前にすぎない。だから、ちょっとブレーキを強めにかければ止まれる位置だったのである。
 僕は電車を見ながら「止まれるな」と判断して、彼を抱えたままホームの端にある階段を使って、ホームにあがることができた。
 この時始めて駅員が来て、運転手も降りて来た。
「事情を聞かせてください」
 そう言われたけれど、これが最終電車だし、落ちていたのは僕の知らない人なので名刺だけ駅員に渡してぼくはそのまま帰宅したのであった。
 あの時もしも電車が逆から入ってくる場合だったら、彼は死んでいただろう。僕も電車のライトや音に気をつけてはいたけれど、本当にホームの下に逃げこめたかどうかは定かではない。
 実際にやってみてあとで思った反省点を言えば、次の2点。

1 誰かに言って、電車を止めてもらうように駅員に連絡すべきだった。おそらく駅への進入を拒む赤信号をつけることができるはず。
2 担ごうとせず、引きずって線路の外にでる方がよい。

 だけど、本当にそれがいいのかどうかはわからない。
 森首相はこの2人に対して「勇気ある行為を称える書状」を贈ることにしたらしいけれど、それよりも今度こういうことがあったら周りの人はどう対応すべきなのか。それを救命救急方と同じようにすぐにでも紹介していただきたいと僕は思うのである。

「人命を重んずる真に勇気ある行為を心から称えるとともに、謹んで深く弔意を表します」
 森総理はこういう内容の書状を遺族に手渡すらしい。しかし、あれは人命を重んずるなどという冷静な考えによるものではなく、同じ種の仲間を危機から救おうとする本能であったような気がする。冷静に考えて自分の家族のことでも思ってしまえば、この行動を起こすのは難しい。
 僕はこれを経験してから「今度同じケースがあったらどうしよう」ということを何度も考えていた。落ちた人のこととその家族のこと。そして自分の家族への責任。自分が死んでしまうケースやら、あきらめて助けられなかったときのことなどなど。
 それだけに今回の事件では御冥福をお祈りしたいのは当然としても、「よくやりました」と簡単には言えない、重苦しい気分になるのであった。

2001年1月30日(火) オークションはお買い得

「あ、あがっちまった!」
 朝っぱらから課長がパソコンの画面に向かって、すっとんきょな叫び声をあげていた。
「なにがあがったんですか?」
「値段だよ。入札価格だ」
「入札価格?」
「そうなんだ。いまよー、インターネットでオークションに参加してんだよ」
「へー、そうなんですか。僕もよくやるんすよ」
 僕はそう言いながら、学校の職員室のような形になっているデスクの島をぐるっと回って、反対側にいる課長の席へいった。
「何を競ってるんですか?」
「ビデオデッキだ。使用1ヶ月の新品同様だぞ。それが5,000円。これは買い得だろう?」
 たしかに新品同様のビデオデッキが5,000円なら買い得だ。しかし、現在の入札価格がそうだと言うだけであって、それで買えるわけではないのだ。
 このオークションでは出品者がまず開始価格を決める。この場合は1,000円だから、この商品を見て欲しいと思った最初の人が1,000円以上の金額で入札をする。そして、それを見た他の人がもっと高い入札額を入れる。こうして競っていって、あらかじめ設定されたオークション終了時間までにもっとも高い金額を入れた人が、その商品を購入できると言う仕組なのである。
「さっきまで4,750円だったのによ、くっそー」
「それは仕方ないですよ。まだ1時間あるんだから、まだまだあがりますよ」
「よし、んじゃ6,000円だ。一気に1,000円あげたらついてこないだろう。マラソンのダッシュと同じだ」
「待ってください、課長。まだ入れちゃダメですよ。あ。あーあ、入れちゃった」
「なんでだめなんだよ?」
「オークションは最初の方から値段を吊り上げていくと、高くなっちゃうんですよ。だから、最後の方までがまんして、ぎりぎりで入札するのがコツなんです」
「だけどよ、『このオークションは早期終了する場合があります』って書いてあんぞ。説明見てみたらだな、これは『もうこの値段ならいいだろう』って売主が思ったときに時間前にやめちゃうことだって書いてあった。そしたらおめー、終了時間前に他の野郎にとられるじゃねーか」
 このオークションには確かにそう言う機能はあるが、値段がどんどんあがっている最中に途中で「もういいや」なんて終わりにするお人よしの売主は滅多にいない。すくなくても僕は見たことがないのだ。
「そんなこと絶対にしないから大丈夫。ぎりぎりまで待ちましょう」
「あ、ほらみろ。7,000円になっちゃった。ちくしょう。それなら俺は10,000円だ」
「あ、なんてことを。課長、ダメですってば」
「いいじゃねーか。ビデオデッキの新品同様だぞ。10,000円なら安いもんだ」
 課長は仕事そっちのけでオークションにのめりこみ、画面相手に叫びつづけていた。僕は自分の席に戻り、課長の叫び声を聞きながら仕事をしていたのである。
 そしてオークションも終了間近となった。
「ざまーみろ。あと3分で終了だ。俺がもらった。がっはっは!」
 すっかり落札した気で、課長は御機嫌なのである。ところがそのとき・・・・・・。
「ぎゃーっ!」
「どうしました?」
「終了1分前だったのに、突然10分前に延びたぞ。おかしいじゃねーか、これ?」
「そりゃ課長、オークションの自動延長ですよ。売主が自動延長を設定しておくと、終了5分以内に誰かが新しい入札をすると、10分まで時間が延びるんです」
「なんだとー! あ、本当だ。値段があがってる。何てやつだ、こいつ。よーし、それなら俺がさらに高値をつけてやる」
「待ってください課長。だめですよ。まだだめです」
「いちいちうるせーな、おめーは。なんだってんだよ?」
「あのですね、高値をつけると他の入札者に『あなたの入札がくよりも高い入札がつきました。どうしますか?』っているメールが届くんです。それをみたら、また入札してくるでしょう。オークションで大事なのは、入札参加者を増やさないことなんです。早いうちから入札しちゃダメと言うのも、そういうことなんですよ。これだって、課長がさっさと入札するからこんなに・・・・・・」
「やかまーしやい。ほれ、入れたぞ」
「あーあ」
 もう躍起になっているのだ。
「ダメだって言ったでしょーが」
「だっておめー、メールはどっちにしてもいくんだろ? だったらいつ入札したって同じじゃねーか」
「そうじゃないですよ。メールチェックは自動で10分おきとか5分おきとかにしてる人が多いから、なるべくオークションの終了ぎりぎりで入れたほうがいいんです。ただ、この場合は終了5分以内に入ると自動延長される設定だから、5分以内はまずい。ですから、5分10秒くらいのきわどいところで入れるんです。自動延長が無い場合は、まさに終了10秒前。これがテクニックなんですよ」
「うるせーな、この野郎。入札してるのは俺なんだから、黙ってろ。業務命令だ。黙ってろ。いいな」
 遊んでるくせに業務命令もくそも無いのだけれど、課長は完全にエキサイトしているのだ。その後も無言でバチバチやってるところをみると、終了際の入札合戦を続けているらしいのである。なかなか終わらないのは、何度も自動延長で時間が延びているのだろう。
 ぼくはまた机の島をぐるりと回って、課長のデスクへ行き、画面を覗きこんだ。
「畜生、また値上げしやがった。こうなりゃ一気に勝負をつけてやる。へっへっへ」
 課長はにんまり笑うと、入札額を打ち込んだ。
「あ、それは・・・・・・」
「だまれ! 黙ってろ!」
 僕がクビをすくめて黙ったら、僕の後ろから来て覗きこんだ後輩の矢田君が、
「あのー、そのデッキって・・・・・・」
 とまた口を出しかけたので、課長は顔を真っ赤にして怒鳴りだした。
「だからよーー、さっきからやかましいと言ってんだろうが。これは俺のオークションなんだぞ。いいから終わるまで黙ってろ。何も言うな。おい矢田。喋ったらクビだぞ。いいな!」
 矢田君も首をすくめ、すっかり興奮した課長はさらに入札をすると、じっと画面を見つめた。
 カウントダウンの数字が一つ一つ減っていき、5分前をすぎ、3分前をすぎていった。どうやら他の入札者はあきらめたらしいのである。
「これで絶対もらいだな」
 課長はすっかり落札したつもりで、ニコニコしながら商品紹介の写真を見て楽しんでいる。
 そしてついにカウントが0になり、オークションが終了した。
「やったぞ、勝った!」
 いい年をして、課長はガッツポーズをとっている。
「へへん。ざまーみろ。22,500円で落札だ。他に送料がかかるけど、それでもいい買い物だよな。あはははは。んで、なんだ矢田。言いたいことがあるならもう言っていいぞ」
 初めて落札をした課長は、御機嫌なのである。
「あのですね、課長。そのビデオデッキなんすけど・・・・・・」
「おお、これか。いい感じだろ。んで、なんだ?」
「角のディスカウントショップで19,800円で売ってます」
「・・・・・・」

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