ヒラエッセイ
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2003年7月7日(月) テノヒラーマン参上
村守さんは財務課長である。43才で未だに独身。もちろん結婚歴もない。
なぜ独身かというと、女にもてないからだ。なぜもてないかというと、その説明は原因が多すぎて特定できないのでとても困難なのだが、彼を知っている誰もが、「もてない」という事実にのみ、意見を一致させている。
そして彼はテノヒラーマンである。テノヒラーマンを構成している彼の性格も、もてない理由の一つだろう。
僕は上司の部長と相談の上、村守課長に会議の申し出をした。
「実は、新しい支払い方法を検討しています。これは本来財務課のテリトリーですが、情報システム部は会社のあらゆる機能に関与していますので、システム側から見てぜひ提案したい内容なのでお時間をいただきたいのです」
支払い方法というのは、特約店に販売した商品の代金を回収する方法のことで、商売をする上で大事な取引条件だ。この条件の設定によって、取り引きできる相手、できない相手が変わってしまうこともある。そして、この支払い方法のあれこれは財務課の仕事だ。
「もちろん、構わないよ。そういうご意見は、幅広く聞きたいねぇ」
そう村守課長の承諾を得たので、早速会議を開くことができた。
「実は、CODを導入したいのです」
と会議の冒頭、僕は村守課長に切り出した。CODとは、キャッシュオンデリバリーのこと。つまり、商品と引き替えに代金をもらうことだ。現在は月末締め翌月末払いが基本となっている。
「ほう。CODだと債権管理が簡単だし、貸し倒れの心配もないので我々としても歓迎すべきものだが、システム的な問題もあり、難しいと思うんだが?」
「その辺を検討して、やれると判断しています。請求書の出し方なども変わりますけれど、可能です」
「ほう、それはいいねぇ。しかし、そのシステム開発には費用がかかるだろう。費用対効果を考えるとどうなんだろうねぇ?」
村守課長の指摘はその通りだった。しかし、我々には一つの野望があった。
「実は、特約店のみへの販売を改めてようかと考えています。それによって、販売量を伸ばせば、費用対効果は問題ありません」
当社の販売先は特約店と工場などの大手需要家に限られている。それを変えようというのだ。これは営業政策にも関与することなので、営業部門も巻き込むことになるから簡単にはいかない。僕は村守課長の賛否に注目した。
「それはつまり・・・・・・」
「例えばインターネットで注文を受けて、代金さえ払ってもらえれば販売するというやり方も可能です。これですと特約店契約をしていない先に売っても問題がないし、特約店のように営業部門が面倒をあれこれ見ることも不要です。実際、売ってくれないかという問い合わせがあるのに、特約店契約がないからダメだと断っている現実があります。特約店として認めるハードルも高くて、それに合致しない会社ばかりからのアプローチです」
この提案に対して、村守課長はすぐに答えた。
「それはすばらしい。オレも、そんな商売が必要だと思っていたんだ。うちの営業部門は従来からのやり方ばかりを踏襲するアホどもばかりだ。そうだ、今こそ我々があのバカどもに、新しい風を吹きかけてやろうじゃないか! だいたいあの連中はバカの一つ覚えのように・・・・・・」
でた、村守節。
村守課長は極端だ。何かの意見に賛同すると、その意見が徹底的に良いと瞬間的に思い、そうするとその意見の反対者だと思われる人物を、突然けなし始める癖がある。しかも、それを語るときの彼は両手を「オー、ノウ!」とアメリカ人がやるあのジェスチャーのようにひろげ、頭を左右にプルプル振りながら熱弁するのだから気味が悪い。そしてしまいには机を叩いたり怒鳴ったりして、顔をタコのように真っ赤にしてしまうのだ。
こう聞くと、「なんと情熱的な課長だ!」と思うかも知れない。確かに仕事に情熱を注ぎ、エネルギーを注ぐその様は立派なのだが、彼には最大の欠点があった。それは、「権力者がその意見に反対すると、すぐに手のひらを返す、テノヒラーマンである」ということだった。
彼の「忍法手のひら返し」でハシゴを外され、崖っぷちにぶら下がった部下はかなり多と聞く。とはいうものの、僕は実際にそれを見たこともないし、この手の話しは大げさに言われるものだから、僕はさほど気に留めてもいなかった。それよりも、財務課長の賛同を得て提案が実現に向かうのが嬉しかった。
翌週、数日間の情報システム課と財務課との話し合いで作り上げた「COD導入草案」を元に、我々は営業部門の企画を担当する販売企画部に話しをすることにした。
「ヒラリーマン君。この前も言ったが、うちの営業はとにかく保守的だ。今までのやり方を変えようとはしない、バカ野郎ばかりだ。しかし、そんなことでは我が社の将来はない。ここは一つ、そんなバカ営業の中でも話のわかる人たちに話しをして、味方を得ようじゃないか!」
そうした考えで、村守課長は販売企画部部長の熱田さんと、次長の大川さんに会議出席を依頼した。
熱田部長は温厚な人で、僕とも交流がある。かつて財務部に所属していたこともあり、この話をするには確かにうってつけの人物だった。
大川次長は熱田部長とは正反対とも言える正確の持ち主で、村守課長以上の激情家として知られている。
僕は大川次長を頭の固い保守的人物と評価していたが、村守課長はそうではないらしい。そして、僕と村守課長のどちらの判断が正しかったかは、会議が開催されるとすぐにわかった。
「えー、このようにCOD制度を導入しますと、特約店への貸し倒れの心配もなくなり、特約店にとっても当社に担保を提供する必要もなく、双方とも利点があります」
と制度の骨子を説明すると、熱田部長、大川次長とも「なるほど、よしよし」と機嫌良く話を聞いていた。しかし、問題はここからだった。
実は、特約店販売ではなくダイレクト販売、それもネットで販売するということは、従来の営業スタイルを変えるどころか、営業部門の必要性を否定することにもなる。
足繁く特約店に通って売り込んだり、飲んだり、ゴルフにいったりして信頼関係を築くなどという営業活動は不要になり、ドライに販売すればよくなるからだ。
当社では長年営業部門が幅を利かせ、社内を闊歩して歩いてきた。そしてそのトップに君臨するのが本社の販売企画部だ。その営業の親玉に向かってこれを切り出すのは、大変な覚悟があると僕は思っていた。しかし村守課長は、そんな恐れなどまったく感じていなかった。
「ヒラリーマン君。あの営業のバカどもが何をいおうが、これは当社の将来にとって絶対必要なことなんだから、ひるんではいけないよ!」
と両手をオペラ調に広げて熱弁したのは、昨日の最終打合せの時だった。
その村守課長がついに切り出した。しかも淡々と。
「それで、この制度を利用すると、特約店じゃなくても簡単に商品の販売ができます。販売経費もかけず、人員も投入することなく、販売量を増やせる。インターネットで受注して、販売するだけということで、実に簡単に・・・・・・」
と、気楽にやり始めたのだが、この時点で熱田部長は表情を暗くし、大川次長の顔色はサッと変わった。すると、それを見た村守課長は・・・・・・。
「というような考え方もまぁ、最近の風潮としてはあるわけですが、どんなもんでしょうねぇ、こういうのは、なんというか・・・・・・」
と、突然語尾があやふやになった。
僕は二人の顔色の変化にも驚いたが、村守課長のシドロモドロにも「なんじゃこりゃ?」と不安になった。
すると、そこで大川次長が机を叩いて怒鳴った。
「うちはな、特約店があってこその商売なんだよ! 特約店があるからこそ成り立っているんだ! そんな、直接販売だがネット販売だかしらんが、商売というのはそんな簡単なものじゃない!」
これに対して村守課長がどう反撃するかと思いきや・・・・・・。
「そ、そ、そう。まったく同感です。ほんと、そうなんですよね」
コケた。これが手のひらが返った瞬間だった。この村守課長の言葉に、僕は唖然としてしまった。そしてさらに大川次長が怒鳴る。
「ネット販売なんてのは、商売のいろはも知らないコンピューター屋が、遊び半分にやってるだけのことだ! あんなもので市場をかき回せれてたまるか! そんな思いつきやはやりで商売なんかできるもんか! もしもあんたらがどうしてもそれをやりたいのなら、情報システム部と財務部で販売しろ!」
大川次長は頭から湯気を出しそうな勢いだった。営業部門にしか活路のない彼としては、自分の地位を確保する為にも必死なのだろう。
これに対して村守課長は、
「いえいえいえいえ、そんなそんな、我々はなにもそんなねぇー、ネット販売だなんて考えている訳じゃないですよ。そういうことを考えるバカもいるんじゃないかという話しなんです、はい。そんな流行だけでやれるものじゃないですし、まぁ、なんというか一つの可能性として触れただけで、我々がそういうことをしようだなんて、まったく考えてもいません。実に大川次長のおっしゃるとおりです。今回我々としては、支払い方法の選択肢としてCODをご提供するだけでして、そんなねー、当社の優秀な営業の皆さんがおやりになっている販売方法に一石を投じるなんて考えも毛頭ないわけですから・・・・・・ねぇ、ヒラリーマン君」
こう話しを振られた僕は、言葉がでない。バカ野郎の営業だったのが、優秀な営業になってるし、あれだけ練ったアイデアを「考えてもいない」だなんて・・・・・・。
僕はこの場をどうしようという考えよりも、「すげーなぁ、この人」と、まさに開いた口がふさがらない状態になってしまった。
こんなドラマの世界でしか見たことがないような絵に描いたようなテノヒラーマンが実在するなんて、空飛ぶスーパーマンを見つけたくらいの驚きだった。
もちろん、この提案は泡と消え、村守課長は何事もなかったかのようにその話に封印をして終わってしまった。
何よりもすごいと思ったのは、その後村守課長は僕に対してなんの言い訳もせず、あたかも最初からそういう考えであったかのように振る舞ったことだ。
これが、テノヒラーマンの活躍を初めて目の前で見た出来事だった。
2003年7月9日(水) テノヒラーマン居酒屋の舞1/3
「ヒラリーマン君、このセミナーをどう思う?」
僕は内線電話で財務担当の前田取締役に呼び出され、役員室にいた。
前田取締役が僕に見せたのは、コンピューター会社から送られてきた、セミナーの招待状だった。
「経営戦略とIT革命」と題したそのセミナーは、新宿で行われることになっていた。
「ターゲットは経営層から管理層までのようですね。何とも言えませんが、ご興味があればよろしいのではないでしょうか」
と、僕はあたりさわりなく答えた。
「いや、そうじゃないよ。俺は行くことに決めているんだ」
と前田取締役が言った。
「といいますと?」
「いやね、行くことには決めたんだが、ITとなると話がさっぱりわからない可能性がある。そうなったら君、たまったもんじゃないだろ。そこでだ、君も一緒に来てくれないかなと思ってるんだよ。興味はないかね?」
ようするに、一緒に来て、意味のわからないところを解説しろと言うわけだ。
「私がご一緒するということですか」
「もちろん、君の担当役員である久留米取締役には仁義を切っておくよ。それならいいだろう?」
僕としても興味のある内容のようだし、特に断る理由もない。僕は前田取締役の通訳として、セミナーに参加することになった。
「ヒラリーマン君」
「はい、なんでしょうか?」
「あの、ユビキタスってなんだ?」
「ええと、どこにいても情報通信ができることです」
「そうか。妙な言葉だな」
「そうですね」
当日、我々は新宿のとある高層ビルにいた。そしてセミナールームのいちばん後の席に座り、二人でこそこそ話しをしながらセミナーを聞いていた。
「DWHって、なんだ?」
「データ・ウェア・ハウスです」
「なんだそうか。そういえばわかるのに、3文字略語が好きだな、ここの連中は」
「ここだけじゃなくて、IT業界はみんな好きですよ」
確かにその通りだ。たまに僕もわからない略語も飛び出して、それを質問されたらどうしようかとドキドキしていた。
「つまんないな」
「は?」
「つまんない」
「はぁ・・・・・・」
「たばこ吸ってくる」
「え?」
「廊下に出て、たばこ吸ってくるよ」
「じゃ、わたしも」
「君はいろ。人質だ」
「そんなぁ・・・・・・」
「一本吸ったらもどってくるよ」
前田取締役は会場を出ていってしまった。そして、それから1時間以上、セミナーが終わるまで前田取締役は帰ってこなかった。
「あれ、終わったのか?」
セミナーが終了して廊下に出た僕に、前田取締役が声をかけてきた。
「終わりました」
「なーんだ、残念だったなぁ、終わっちゃったのか」
「よく言いますよ。タバコ一本がずいぶん長いじゃないですか」
「そうだろ。最近のタバコは一本長くてな。やっとここまで短くなった」
うそつけ。
「聞いててもそんなに役に立つ話しじゃなかったですけどね。じゃ、帰りましょう」
「どこへ?」
「もちろん、会社です」
「君、直帰にしてないのか?」
「ええ。まだ業務時間ですから」
「そうか・・・・・・」
なぜか、前田取締役はご不満のようだった。
「何かございますか?」
「何かというほどでもないが、せっかく一緒に来たんだから、どうだい一杯?」
「酒ですか?」
「君と飲むチャンスもなかなかない。腹を割って色々話しでもしないか」
こうなりゃ当然前田取締役のおごりだろう。それに、役員だからそこそこの店に連れて行ってくれるに違いない、と僕はほくほく顔でついていった。
「はい、よろこんで」
ビルを出てそのまま地下街に入った。外は大雨だったが、新宿は計画的にできたオフィス街らしく、地下道が整備されている。雨に濡れずに移動できるのが嬉しい。
しばらく駅に向かって歩いていたが、地下道の途中で前田取締役が、「この辺のビルに入ろう」と、飲み屋がありそうなビルに入っていった。
「ここなんてどうだろうな。おお、なかなか良さそうじゃないか」
そう前田取締役が言った店は、さえない居酒屋だった。
中に入って席に着くと愛想のよいおばさんがお通しを持ってきたので、二人はビールを注文した。
「あ、そうだ。もう1人呼ぼう」
そう前田取締役が言いだした。
「だれですか?」
「実はな、財務の村守課長が今日、新宿にいるはずなんだ。銀行のセミナーを受けにいってるんだよ、彼も」
ひぇー、あのテノヒラーマンかよ、と僕は思ったが、村守課長は前田取締役の部下だから、それは口にしないでいた。
「多分奴も、そろそろ終わっているはずなんだ。君、済まないが電話してくれないか。番号はこれだ」
と、前田取締役が、携帯電話に村守課長の番号を表示して見せた。
僕はその番号を自分の携帯電話に打ち込んだ。
「あ、ここ電波が通りませんね」
「ほんとか?」
二人がそんな会話をしていると、おばさんがビールを持ってきて言った。
「廊下に出ると電波来てますよ。ここまでは入ってこないのよ、なぜか」
僕は店の前の廊下に出た。
「電話にでるな」
そう念じながら僕は、村守課長の携帯電話の番号をプッシュした。あの人はどうも苦手だ。
プルルルル。プルルルル。
しかし、残念ながら呼び出し音2回で村守課長がでてしまった。
つづく
2003年7月10日(木) テノヒラーマン居酒屋の舞2/3
「もしもし、村守です」
「あのーヒラリーマンです」
「やあ、どうも。どうしたんだい?」
「ええと、いまですね、新宿で飲み始めたのですが、村守さんもよろしかったらと思いまして」
「ほう、めずらしいね」
「ええ。何となく飲みたい気分になりまして。いえ、お仕事があるんでしたらいいんですけど」
僕は前田取締役がいることをわざと伏せていた。そういえばあのゴマすりテノヒラーマンは飛んでくるに違いない。しかし、言わなければ来ないかも知れないのだ。
言わないことはウソじゃないのだから。
「んー、実はちょっとね」
「ご予定でも?」
「知り合いが入院してるんだよ。今そっちに向かっていて、もう新宿からかなり離れちゃってねぇ」
「そうですか。では仕方ないですね」
「すまないねぇ。何しろ入社の時に世話になった人なので」
確か村守さんが入社で世話になったといえば、3代前の野崎社長じゃないか。今では全くないけれど、あの頃は縁故入社が多かったのだ。
「それじゃ、野崎元社長の?」
「ははは、わかったか。そうなんだよ。何しろ恩のある方なので申し訳ないが・・・・・・」
「いえいえ。ではまた!」
と僕はホッとして切ろうとしたら、
「だれかと一緒なの?」
と村守課長が言った。やばい。
「ええ、まあ。でもお見舞いじゃ仕方ないですね。ではまた!」
「誰と一緒なの?」
「なんかここ、電波悪いですね。なんかだめだ」
僕はそういいながら店の入り口を入ろうとした。中に入れば電話は切れるはずだ。
ところが、そのとき店からおばさんがでてきた。
「これこれ、お店の名刺だから、相手の方に店の電話番号を教えておくといいわよ。ね、ね」
ご親切にどうも・・・・・・。
「もしもし?」
「はい・・・・・・」
「で、誰と一緒なの?」
「ええと、ふにゃふにゃふにゃやく」
「なんだって?」
「ふにゃふにゃふにゃやく・・・・・・電波悪いなぁ。それじゃまた!」
「おい、ヒラリーマン君、よく聞こえないよ。誰と一緒なの?」
もうしょうがない。
「前田取締役ですよ」
「前田取り・・・・・・え、なんで?」
「セミナーにご一緒したんです」
「え、ほんと? 今一緒なんだね? そうか、わかった。すぐ行く。今すぐ行くよ!」
なんてことだ。来るのかよ。
「でもあの、お見舞いは?」
「見舞い? そ、それは・・・・・・まぁ、別に約束してるわけじゃないし、会社はとっくに引退した爺さんだしな。考えてみればそれほど世話になったってわけでもないし、それに当分くたばりそうもないからいいよ。おい、俺が行くまで必ずいてくれよな。すぐ行くから、頼むよ!」
薄情者!
タクシーをとばしてきたらしく、村守課長が到着するには20分もかからなかった。
「重役、お待たせいたしました。いやーもうしわけありません!」
俺にも挨拶位しろよ。
「早かったねぇ、村守君」
と前田取締役が言った。
「ええ、もう重役のお召しであればいずこでもすぐに参ります!」
今時こういうセリフを言う奴が、日本に何人いるだろう・・・・・・。
そこに、店のおばさんが来た。
「何になさいますか?」
すると村守課長は、
「重役は何を飲まれたんですか、最初に?」
と聞いた。
「ビールだよ」
「じゃ、俺もビールね!」
調子を合わせるのもすごいけど、飲み物まで合わせるとはすごい。それになんの意味があるのか、凡人の僕には計りかねた。
ビールから始まり、重役と村守課長は焼酎にうつり、僕はウイスキーにした。
3人ともかなり酔いが回ったところで、企画部の話しになった。
「あの件はね、結局企画部がいつまで経っても結論を出さないところに問題がある」
と、前田取締役が言った。
「ああいう検討って、だいたいどんなものも実際一生懸命検討するのは2,3日なんですよね。だから、期限を1週間でも1ヶ月でも、結局は最後の3日くらいしかやってないんだから、さっさと結論を出しちゃえばいいんですよね」
と、僕が言った。これは本音だ。
他部署に何かを検討してもらおうとして「期限は今週いっぱい」というと、「そんなすぐにはできない。3週間は必要だ」なんて言うくせに、実際のところ、最初の2週間はなにもしないのである。
「企画の連中はだめですね。あいつら仕事ができない。ぜんぜんダメですね」
企画部が前田取締役の非難対象だと思った村守課長は、早速企画部攻撃を始めた。
「まったくあの連中はアホばかり集めたんですかねぇ、仕事が遅くて遅くてかないません」
ところが、前田取締役のターゲットは企画部員ではなかった。
「いやいや、彼らの問題じゃないよ。彼らは良くやってる方さ」
すると村守課長の「手のひら返し」は早い。
「そーなんですよ。頑張ってはいますよね、たしかに!」
信じられない・・・・・・。目の前のこと男は、まともな人間なのだろうか。
前田取締役が続けた。
「彼らがそれなりの意見や結論をもっていくのだが、企画担当重役である、池田取締役が問題だ」
「そうなんですよ。池田重役ですよねー」
前田取締役と池田取締役の仲が悪いのは有名な話しだ。村守課長の照準も瞬間的に池田取締役に変わった。その辺はバカじゃない。
「池田取締役は、決断力が欠乏しています!」
と、村守課長が言った。
「まぁ、そうとも言えるな」
前田取締役も同調した。これに調子づいた村守課長はさらに池田批判を繰り広げた。
「組織のトップに立つものは決断力がなければ、存在価値がありません」
「それはまぁ、そうだな」
「池田さんも、企画部を始めいくつかの部の担当重役なのだから、そうあるべきです」
「うん、そうだ」
「企画部の連中は一生懸命やっているだけあって、あれこれと意見が乱立するんでしょう。しかし、そんなときトップに立つ池田さんは、彼らに四の五の言わさずに、『これだ!』という結論を、すぐさま出すべきなんです!」
村守課長はまた顔が赤くなって、机を叩いた。彼は激しく論じる自分の姿に興奮する、自家発電癖があるのだ。
ところが、そこで前田取締役が「いや、それはちょっとちがうぞ」とたしなめてから言った。
「チームの仕事を進めるための方法はリーダー決断型とチーム合意型がある。前者は部下たちの意見を聞いた上で、リーダーが単独で答えを出すタイプだ。部下の知らないところで結論が反映していくこともある。これは、各メンバーが結論に責任を負わない態度で参加したり、自分の存在価値を実感できないなどの欠点があり、チームの団結力は弱い。しかし、大規模なチームでも時間的に早く結論が出せるという利点がある。ただ、、結論に関してメンバーへのフォローは必要だ。一方後者はチームで話し合った結果、リーダー主導の元ではあるが、メンバーの合意を得て結論をするタイプだ。これは各メンバーが自分の問題として真剣に取り組み、多くのアイデアがでるという利点がある。もちろん団結力も増す。しかし、大規模なチームでは無理があるというわけだ。さて、じゃぁ企画部はどうかというと、これは合意型がふさわしいだろう。池田さんの問題点は、決断しないことではなくて、リーダーとしての指導的役割を発揮していないと言う点だよ」
さあ、前田取締役に反対意見を出された村守課長はどうするか、と思ったら、村守課長は自分の膝をぽんとたたいた。そして言った。
「そうなんですよ。まったくその通りです!」
どこがその通りなんだ。あんたの意見と違うじゃないか。僕は仰天して、「おいおいそれはないだろう」という顔をして見せたが、村守課長は僕の反応など見ていない。前田取締役のだけに集中しているのだ。
「そこが池田さんには足りない・・・・・・いやーわたしが言いたかったところを今、前田重役にすべておっしゃっていただきました。そうなんですよね、まさに!」
そう言いながら村守課長は手のひらを頬につけるポーズをとった。
おまえは宮尾すすむか!
僕にはとてもまねのできない技だ。そして村守課長はさらに口をなめらかにした。
「経営トップのみなさんには社内の情報が集まってくるんですから、重役さんたちの情報量は膨大で、情報の宝庫です。それらの情報と優秀な頭脳を駆使して、部下たちを指導すべきなんです!」
調子のいい野郎だ。しかしここでまた、前田取締役が言った。
「君ねぇ、それは大きな勘違いだよ。情報の宝庫は現場だよ。本当の情報は現場が持ってる。それらが時間をかけてラインを伝わって集まってくるんだが、このとき情報が隠されたり歪められたりするから、経営に伝わる情報は質の高いものとは言えない。各部門の専門情報としては、下位の方がいいものを持ってるものさ。経営陣から情報が発せられるなんていうのは、認識不足だ」
ざまーみろ。認識不足だ。今度こそ真っ向から意見をつぶされた村守課長はがっくりうなだれ・・・・・・るかと思ったら、「そうなんです! 私もそれが問題だと思っているんです」
まったく動じない。そして続けた。
「ですから、そういう情報が正確に経営陣に集められるような仕組みが必要だと思います!」
そう調子を合わせたが、残念ながらこれもはずれだった。
「仕組みの問題じゃないよ。仕組みだけで自動的に流れるほど、情報というのは単純じゃない。結局、我々がもっと現場の人たちと対話をして、生の情報を得なくてはいけない。そういう努力が必要なんだ。しかし、池田さんは役員を特権階級くらいに思っている人だから、そこに問題があると思うね。君ももう少しそういうことを認識したまえ」
今度こそは「もうしわけありません」くらい言うだろう、と僕は思った。しかし、彼はそんなことくらいでひるむ男ではなかった。
「まったくおっしゃる通りです。結局は仕組みじゃなくてやる気の問題なんだと、つくづく思います」
ここまで来たら、「あっぱれ」と言うしかないのかも知れない。
つづく
2003年7月11日(金) テノヒラーマン居酒屋の舞3/3
前田取締役だってバカじゃない。腹の中では「なんだこのやろう・・・・・・」と思っているはずだ。もしそうじゃなかったら、前田取締役も病気としか言いようがない。
しかし、村守課長はお構いなしに、平然と、コロコロ自分の意見を変えていた。
前田取締役が続けた。
「結局なぁ、池田取締役が仕事をしてないんだよ。あの人はなにもやりたくないから、なにも決めない」
前田取締役が同じ立場である池田取締役をあからさまに批判したのも驚いたが、このあとの村守課長がすごかった。
村守課長は持っていた割り箸をテーブルに叩きつけて、顔を真っ赤にして叫び始めた。
「あの池田のバカ野郎がいけないんですよ!」
重役をつかまえて、バカ野郎ときた。
「あのバカ野郎のおかげで、我が社の経営判断が遅れているんです。あのバカがいる限り、だめです!」
この過激な発言に、さすがに前田取締役も無言だった。前田取締役は池田取締役の仕事を批判しているのであって、池田という人物そのものを攻撃しているわけではない。そこがこの両者の違いだ。
仕事では色々な意見をぶつけ合うことが重要で、それがあって最良の結論を導き出せる。ところが世の中には「意見のぶつけ合い」と「人格のぶつけ合い」の区別が付かなくなる人がいて、自分と違う意見を言う人がいると、その人の人物批判を始めたりする。
こういう人はビジネスマンには向かないのだが、どうやら村守課長もそのタイプらしい。
しかし、その空気を読める村守課長ではない。
「あのバカはいつでしたっけ、重役になったの。ああそうだ、去年ですよ。今55才だから、放っておいたらあのバカがあと5年重役をやってるわけです。そんなことになったら、我が社にとって大損害です」
エキサイトする村守課長。それをかなり酔いが醒めて眺める前田取締役。すごい図になってきた。
「前田重役!」
「ん、なんだ?」
「あんなバカは、すぐにクビにしなくちゃダメです。あんなのが取締役じゃいけません!」
村守課長は完全に興奮状態だ。
「いや、まぁ、経営陣だってどうしても変えなくちゃいけないとなれば、そのときはしかるべき人がクビを取るのだから心配ないよ」
前田取締役は完全に冷静になっている。
しかし村守課長の興奮はとまらない。全身勃起状態だ。
「前田取締役! あなたが、あなたが私に『池田のクビを取ってこい!』とおっしゃれば、私はいつでも喜んであの野郎のクビを取ってきます!」
これはまた大きくでた。たかが課長がどうして重役をクビにできるんだ。頭がおかしいのかコイツは、と僕が呆れていると、さすがに前田取締役も言った。
「課長の君にそんなことができるわけもない。しかるべき人は私よりももっと上の人物だ。下っ端が何を言ってるんだ!」
ところが興奮しすぎて鼻血を出しそうな村守課長は動じない。
「とれますよ、取って見せます! あんな、池田のバカ野郎なんて、会社には不要なんです。あのバカは重役どころか部長になる資格さえもない。なぁヒラリーマン、そう思うだろ?」
こっちに話しが来た。
「さぁ。僕はよく池田取締役のことを知らないし、嫌いでもないし、特にバカだとも思いませんけどねぇ」
と、僕は正直に答えた。
すると村守課長はさらに顔をタコにして、声音もパワーアップした。
「なに言ってんだ、おまえ。あんなバカはいねえぞ。ろくに仕事もしないでちんたらちんたらしやがって、冗談じゃねえよ。あのバカが会社の足を引っ張ってんだ。そう思わないのか、おまえ。俺があのバカの部下にでもなったら、差し違えてやる!」
すごい勢いだ。
酒が回ったのかアドレナリンが回ったのかわからないが、もうまともな話はできそうもない。
「ところでヒラリーマン君、今日のセミナーは参ったなぁ。あれは・・・・・・」
前田取締役が話題を変えて、やっと村守課長の全身勃起は解除された。
翌月、かねてより検討されいた会社の組織替えがあった。噂されていたほど大きな変化はなく、いくつかの部署が統合されたり分割されたりしただけだったが、取締役の担当部門は改められた。
情報システム部の担当役員は久留米取締役で変わりがなかったが、おもしろいことに、村守課長の上司である財務担当重役には池田取締役が就任した。
「あのバカの部下にでもなったら差し違えてやる」と言った村守課長はさぞかし大活躍するのだろうと思いきや、池田取締役の回りをちょろちょろして、しょっちゅう一緒に酒を飲み、「前田の野郎は口ばっかりですよ!」と叫んでいるらしい。
どうやら彼の「差し違える」とは、盃に酒を差しつ差されつすることだったらしいのである。
元部下に平然と裏切られた前田取締役は、
「所詮、人材不足で仕方なく課長にした奴だからなぁ・・・・・・ヒラリーマンと同じで」
と妙に説得力がある言葉をこぼすのであった。